いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2018年11月

こちら側とあちら側との間には、とても高くて分厚い「壁」がある。
その「壁」は見えないけれど、それは確かに屹立している。

こちら側とあちら側との物理的な距離は、手を伸ばせば届きそうなほどに近い。
だが、心理的な距離は、果てしなく遠いのだ。

かみさんが死んでからの数年間。
俺は見えない「壁」を越えようとしてきた。
あちら側の人々との距離を縮めたい…と思っていたのだ。

そして俺は、「壁」のあちら側に手を差し伸べてみよう、「壁」のあちら側に行ってみよう…という虚しい努力を始めてしまった。

距離を縮めるための道具は「言葉」しかなかった。
俺は「言葉」を紡ぎ続けた。

だが、「言葉」は無力だった。
いくら「言葉」を綴っても、あちら側には決して届かなかった。
こちら側の人々が心情を吐露するための道具としては、「言葉」はあまりにも貧相なのだ…と感じた。

しかし…
違ったのだ。
俺は何かを根本的に間違えていたのだ。

あちら側に近づけないのは、「言葉」という道具が無力だからではない。
俺の予想以上に「言葉」は機能していたのだ。

それなら何故、あちら側に近づけないのだろうか。
この数年間を振り返り、ようやく理由が分かったような気がしている。

そもそも、あちら側の人々は、こちら側に対して何の関心も持っていないのだ。
あちら側の人々は、こちら側との距離を縮めようとは思っていないのだ。
むしろ、あちら側の人々は、こちら側を積極的に忌避し、疎外し、抹消し、排除しようとしているのだ。

そうだ。
排除するためにこそ、「壁」は建てられているのだ。

この「壁」は、こちら側の人々が、自らの傷ついた心を守るために築いたのだと思っていた。
しかし、どうやらそうではないらしい。
あちら側の人々が、自らの幸せと、自らの平穏とを守るために「壁」を築いたのだ。

そうだとすれば、こちら側からは「壁」を乗り越えることも、破壊することも不可能だ。
乗り越えようとすれば、あちら側が「壁」を高くするはずだ。
破壊しようとすれば、あちら側が「壁」を再構築するはずだ。

俺はようやく理解した…ような気がする。
こちら側にいる俺たちは、「壁」によって、あちら側から排除されてしまった者たちなのだ。


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生きている限り、辛いことがいっぱいある。
やらなければならない
ことはたくさんあるし、無理をしなければならないことも少なくない。
イヤなこと、不快なこと、腹の立つことも起こるだろう。

逃げ
出したくなることもあるし、厭世的な気分になることもある。
人間
を嫌いになってしまうこともあるかもしれない。

だが、苦しいこと
ばかりじゃない。

誰にだって、癒しを与えてくれるモノがあるだろ
う。
誰にだって、守りたいモノがあるだろう。
誰にだって、愛おし
いモノがあるだろう。

だからこそ、苦しいことにも耐えられる。
人生って辛いなぁ…と思いつつ、それでも笑顔で生きていくことができる。

かつては俺も、そんなふうに生きてきたはずなんだ。

・・・

今の俺には癒しを与えてくれるモノはない。
守りたいモノなんて何
にもない。
愛おしいモノも何にもない。

かつては確かに、
そんなモノが俺の傍らにもあったはずだ。
俺はそれのために生きて
きたし、それがあるから生きてくることができた。

だが…
俺はその
大切なモノを失ってしまった。
そして、生きる気力を失って、
生きる意味を見失った。

だからだろうか。
大切なモノを失った直後
からの数年間。
俺は遠くない将来に死ぬ
だろう…と感じていた。

それはリアルな予感だった。
積極的に死を
希求していた…と言ってもいい。

それなのに、どうやら簡単には死
ねないみたいだ。

これからも、このクソみたいな人生が続くんだ…
と思うとウンザリだ。
しかし、自分で自分を終わらせる度胸もあり
はしない。

どんなに辛くても、どんなに苦しくても、
生きていくしかないんだ。
どんなに不安でも、どんなに怖くても、
生きていくしかないんだ。
どんなに哀しくても、
どんなに寂しくても、生きていくしかないんだ。

30年も経てば、
たぶん俺も死ぬだろう。

たったの30年だ。
そう自分に言い聞かせ
よう。
そして、やせ我慢をして生きていこう。

どうせ人生なんて、
やせ我慢の連続なんだから。

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かみさんを看取った日から約1か月の間。
俺は毎晩、ほとんど眠ることができなかった。

眠れないというのは、本当に辛いことだ。
朝まで一睡もできないというのは、本当に苦痛なことだ。

昂った神経が鎮まってくれない。
心と身体が異様に張り詰めている。

そして…
朝まで布団の中で泣きじゃくる。

伴侶を亡くしたのだ。
たった一人の大切な家族を喪ったのだ。
悲しいのは当たり前のことだ。

しかし、せめて夜だけは眠りたかった。
残酷な現実から目を背ける時間が欲しかった。

俺は心療内科で睡眠導入剤を処方してもらった。
ハルシオンとレンドルミンの二種類だ。
これらの薬は現在でも服用しており、たいていの場合、朝まで俺を熟睡させてくれる。

だが、ときおり薬が効かなくなってしまうことがある。
夜中に何度も目が覚めてしまったり、朝まで一睡もできなかったりするのだ。

いったん薬が効かなくなると、その症状(?)は1か月前後も続いてしまう。
死別の直後ほどではないにしろ、やっぱり眠れないのは辛いことだ。

・・・

先週末の土曜日の夜からだ。
また睡眠導入剤が効かなくなってしまった。
薬を飲んでから床に就いているのだが、入眠までに相当の時間が掛かってしまうのだ。

それだけじゃない。
夜中に必ず目覚めてしまい、その後は長い時間、眠りに落ちることができない。
そのくせに、朝は早くに目が覚めてしまうため、日中は眠気と闘わなくてはならない。

何よりも辛いのは、真夜中の中途覚醒だ。

真っ暗な部屋の中で目が覚めて、周りを見回せば誰もいない。
明かりは無く、音も無く、空気も流れていないかのようだ。

そこにあるのは、表現しがたい孤独だ。
心が凍てつくような孤独だ。

人々は眠りに就いている。
世界のすべてが静止している。

それなのに…
俺は覚醒しているのだ。

みんなは安眠を貪っている。
それなのに、俺は不安と焦燥の中にいる。

みんなは安らかな世界にいる。
それなのに、俺は殺伐とした世界に棲んでいる。

いったい、この落差は何なんだ?

真夜中に目覚めてしまうんだ。
すると、心と身体が負の感情でいっぱいになってしまうんだ。

だから俺は、中途覚醒が大嫌いだ。


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早朝5時半を過ぎた頃だろうか。
俺は布団の中で目を覚ます。

意識はあるが、しばらくは目を閉じている。
真っ暗な部屋の中で目を瞑っている限り、いまだに心は穏やかだ。

だが、目を開き、身体を起こして床を出た瞬間、「それ」は必ず襲ってくる。
強烈な孤独感とでも言えばいいだろうか。
それとも不安感と表現すればいいのだろうか。

心臓や胃、腹のあたりに強い違和感を覚えるのだ。
全身が小刻みに震えているのだ。
心がザワザワするのだ。

その感覚を「抑える」方法なら知っている。
ウィスキーやブランデーをしこたま飲んで、酔っぱらってしまえばいいのだ。

だが、出勤する前に酒を飲むわけにもいくまい。
仕方がない。
抑えることができないのなら、「無視」するしかないだろう。

たとえ無視したとしても、それは確かに「ここ」にあり、俺の心をザワつかせるのだが、それでもヤセ我慢をして、普通に暮らしていくしかないのだ。

・・・

何かに集中していれば、「それ」を無視するのは容易になる。
集中できる「何か」をたくさん持っていれば、今より遥かに楽に生きられるだろう。

だが、「仕事に忙殺されること」や、「部下たちに誘われて昼飯を食いに行く」ことくらいしか、俺は集中できる「何か」を持ち合わせていない。

本を読んでも落ち着かない。
テレビの内容が頭に入ってこない。
身体を動かすなんて億劫だ。

集中できる「何か」が無い。
すると、意識は内面を向いていき、無視していたはずの「それ」が存在感を増していく。

夜を迎えて眠りに落ちるまでの間、「それ」はいつでも俺を内側から破裂させようとするんだ。

・・・

何かが決定的に欠けてしまった。
本来、そこにあるべきものが欠落してしまった。
心身のド真ん中に大きな空洞ができてしまった。

それでも俺は生きている。
すべてを失ったのに、それでも俺は生きている。

それはとても不自然なことだ。

だが、俺はその不自然さに慣れようと努力してきた。
その不自然さを不自然と感じなくなるときが来るだろう…と思って生きてきた。

しかし…
俺はいまだに慣れることができないのだ。

いったい、いつまで続くんだろうか。

このザワザワした感覚に耐えられない。
俺は「それ」に耐えられない。

だから俺は、自分を破壊したくなるんだ。
自らの胸を引き裂いて、その中に腕を突っ込んで、心臓を握り潰してしまいたくなるんだ。


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かみさんと俺は、お互いに支え合って生きてきた。

かみさんに欠けている部分は、俺が補ってあげればよかった。
俺にできないことは、かみさんが代わりにやってくれた。

かみさんと俺が一緒なら、怖いものは何にもなかった。
かみさんと俺が一緒なら、できないことは何にもなかった。

俺たち夫婦は万能だった。
俺たち夫婦は完全だった。

かみさんと俺とは一心同体。
そんな二人が一緒なら、全知全能だった。

かみさんと俺は、世界のすべてを支配していたのだ。

だが…
俺たち夫婦は、二人が引き裂かれることもあり得るんだ…ということを想定していなかった。

いずれかが独りぼっちになったとき。
遺された方は、どうやって生きていったらいいんだろう。

少しは考えておくべきだったのかもしれない。

・・・

かみさんが死んじゃった。
俺は独りぼっちになってしまった。

俺はただの”配偶者”を喪ったのではない。
自らの半身を削ぎ落されたのだ。

一心同体だったことが災いしてしまった。
かみさんを亡くしたことで、一心同体の半分を無くしてしまったのだ。
俺自身の半分が死んでしまったのだ。

すべては完璧だったはずだ。
それなのに、今ではすべてが崩れてしまった。

怖い。
生きいてることが怖くて仕方がない。

俺を取り巻く世界のすべてが、俺に襲いかかってくる。
世界は俺を引きちぎり、俺を嘲笑い、俺に怒りをぶつける。

そんなに俺が気に入らないなら、俺を殺してくれればいいんだ。
なのに世界は、俺を殺してはくれず、飼殺しにしようとしている。

こんなに苦しんでいる俺を見て、楽しいのか?
こんなに哀しんでいる俺を見て、面白いのか?
”あんた”にとっては面白くても、俺にとっては”生き地獄”だ。

・・・

かみさんと俺。
二人が一緒なら、すべてをコントロールすることができた。

だが、もはや俺は独りだ。
支配する者ではなく、支配される者になってしまった。
何ひとつ思いどおりにはならず、世界に翻弄されるまでに転落してしまった。

これは”生き地獄”だ。

哀しいのに、苦しいのに、生きていかなければならない。
これは”生き地獄”だ。

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