いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2018年12月

死ぬときは二人一緒がいいよね…
二人で一緒に死ねたらいいね…
かみさんの口癖だった。

それなのに。
かみさんは一人で逝ってしまった。
俺を遺して死んでしまった。

かつては隣にいたはずなのに、それがまるで、淡くて儚い夢のように感じられる。

あの20年間は夢だったんだろうか。
かみさんと俺は、本当に一緒にいたんだろうか。

幸せだった日々が次第に遠ざかり、記憶は曖昧になっていこうとする。
だが、俺は必死に抵抗を続け、記憶の断片を手繰り寄せる。

あの幸せだった日々は、俺の人生における唯一の「光」だからだ。

・・・

あの頃、確かにキミはいた。
いつでも俺の横にいた。

キミの体温が伝わってくるような気がした。
温かかった。

自然に腕と腕が触れ合った。
やわらかかった。

目が合えば、
二人は自然と笑顔になった。
これが「幸せ」
っていうヤツなんだな…と想った。

お互いに黙ってはいても、
キミと俺との「気」が混ざり合い、「ひとつ」になった。
キミとの一体感に身を委ねた。

静かで穏やかだけど、
深い安らぎと幸せに満ちていた。

そして何よりも、
キミが愛おしかった。
キミは俺の「すべて」だった。
キミは俺の「世界」だった。

キミを守りたいと想った。

財産を失ってもいい。
会社での地位を奪われてもいい。
俺の肉体を犠牲にしても構わない。

命を賭してでも守りたいと想った。

キミと出逢う前に付き合った女性たちには、
こんな想いを持ったことはない。
命を賭してもいい…
そんなふうに想わせてくれたのは、キミだけだった。

キミを守ることが生きがいだった。
キミを守ることは、
俺の人生に意味を与えてくれた。

生きがいを感じ、意味のある人生を生きること。
こんなに嬉しいことはない。

それなのに。
俺は「すべて」を奪われてしまったんだ。
俺は「世界」を失ってしまったんだ。


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誰かが占めていた場所がある。
その場所は、誰かの死とともに大きな欠落になってしまう。

俺に言わせれば、欠落は欠落のままでいいんじゃないか…と思う。

だが…
その欠落は、時間の経過とともに埋められていく。

誰かが意図して埋めたわけではない。
ましてや悪意があって埋めてしまったわけでもない。

自然の流れとして、欠落は次第に周囲の人々によって浸潤されていき、いずれは跡形も無くなってしまう。
そして、そこが誰かに占められていた場所であることを示す痕跡さえ無くなってしまう。

時が経ち、その誰かは初めから存在していなかったかのようだ。
誰かが死んでしまったとしても、世界がその様相を変えることはない…ということなのだろう。

こんなに哀しいことはない。

だが、それ自体は不条理なことでも何でもないのかもしれない。
ごくごくありふれた、日常の風景なのかもしれない。

しかし…
誰にだって、大切な人がいるだろう。
誰にだって、自分とすべてを共有してくれる人がいるだろう。
誰にだって、自分の半身だと思える人がいるだろう。

誰にだって、お互いの境界線が曖昧になり、自分と「ひとつ」になってしまったような人がいるだろう。
誰にだって、自分を犠牲にしてでも守りたい人がいるだろう。

それは決して失ってはならないものだ。
それにもかかわらず、「自分を犠牲にしてでも守りたい人」を喪ってしまった者たちがいる。

そこにはやはり、大きな欠落が生まれる。
その欠落が意識されている間、周囲の人々も、涙を流して悲しみながら、亡くなった人の思い出を語るだろう。

だが、自然の成り行きとして、欠落は埋められていき、その人の存在した痕跡は消えていくのだ。
死者は忘れ去られ、語られることもなくなっていくのだ。

しかし…
亡くなった人のことを、「自分を犠牲にしてでも守りたい」と思っていた者たちが遺されている。

その遺された者たちだけは…
たとえ欠落が埋められて、痕跡が消えてしまったとしても、決して死者を忘れることはないのだ。


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かみさんの実家は北海道にある。
北海道には義母や2人の義弟、かみさんの親戚たちが住んでいる。

年末になると、かみさんと俺は北海道に行き、かみさんの大切な家族と一緒に年を越してきた。
一緒に買い物に行き、一緒に美味しいものを食べ、一緒に酒を飲み、一緒に語り合って過ごしてきた。

その習慣は、今でも変わっていない。
俺は毎年の年末、必ず北海道に行く。

あの頃とは違い、一緒に行くのは「かみさん」ではなく、「かみさんの位牌」になってしまったが、それでも俺は、かみさんを連れて北海道に行く。
かみさんが亡くなったにも関わらず、かみさんの家族は俺を温かく迎えてくれるからだ。

年の瀬が近づくと、義母や義弟が必ず連絡をくれる。
そして、「容子をつれて北海道においで…」と言ってくれるのだ。

今年は12月28日の夜の便で新千歳空港に向かう予定だ。

・・・

日本列島に寒波が押し寄せている。
気象庁の発表によれば、「警報級の大寒波」らしい。

北海道では暴風雪が予想されている。
果たして飛行機が空港に着陸できるのかどうか、そもそも飛行機が欠航になってしまうんじゃないか…と心配だ。

テレビでニュースを見ていると、「数年に一度の最強寒波が帰省ラッシュを直撃します!十分に注意してください!」なんて聞こえてくるが、「どうやって注意したらいいんだよ!」と突っ込みを入れたくなったりもする。

まさか…
生まれて初めて独りぼっちで正月を迎えることになるんじゃないだろうか。
大晦日や元旦からコンビニ弁当ばかりを食って、朝から晩までウィスキーを飲んで過ごすことになるんじゃないだろうか。
人の気配の無い自宅の中で、ぼんやりテレビを見ながら元日を迎えることになるんじゃないだろうか。

そんな自分の姿を想像すると、気分が本当に滅入ってしまう。

俺は決して「運」の良い人間ではない。
かみさんが元気だった頃、俺は自分が「運」の良い人間だと信じていたし、さまざまな場面で「幸運」に恵まれてもきたが、かみさんが亡くなってから、俺の「運」なんて吹き飛んでしまった。

そんな自分を思うとき、なんとなく、ひとりぼっちの正月を過ごすことになりそうだな…と感じてしまうのだ。

・・・

現在、12月28日の午前7時07分。
通勤電車の中で、この記事を書いている。

カバンの中には、かみさんのお位牌もある。
かみさんのお位牌と一緒に北海道に行くつもりだ。

しかし…
この記事がアップされる29日の午前0時。
果たして俺は、北海道にいるんだろうか。
それとも飛行機が欠航になり、かみさんのお位牌と一緒に真っ暗な自宅に戻っているんだろうか。


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微熱が下がらない。
鼻水が止まらない。
呼吸が苦しい。

発症したのは22日の土曜日だ。
どうやら風邪をひいてしまったらしい。

すぐに治るだろう…と思っていたのだが、数日経っても良くならない。

会社を休んで病院に行き、薬を飲んで寝ていたい。
だが、どうしても年内に仕上げたい仕事があって、休暇を取るわけにはいかない。
自分の部下に仕事を任せればいいのだが、管理職の仕事には機密事項も多く、俺が処理するしかない。

仕方がないので市販の風邪薬を飲み、なんとか「仕事納め」まで乗りきろうと思っている。

・・・

25日の火曜日。

俺は「誰も近づくな」、「誰も俺に話しかけるな」というオーラを発し、黙々と仕事に勤しんでいた。
部下たちとの雑談を徹底的に避け、ダルい身体に鞭を打ち、ひたすら仕事だけに集中していた。

その結果、俺が風邪をひいていることに気づいた同僚は、一人もいなかった(と思う)。

だが。
26日の水曜日のことだ。

俺はつい、部下たちからの雑談に応じてしまった。
それが「きっかけ」で、俺が体調を崩していることは、部下たちにバレてしまった。

すると、部下たちの「おせっかい」が始まった。

体調が悪そうですね…だとか、
帰ったほうがいいんじゃないですか…だとか、
せめて仮眠室で横になったほうがいいんじゃないですか…だとか、
お昼ごはん、買ってきましょうか…だとか。

さらには、
スポーツドリンクを飲んだほうがいいですよ…だとか、
ビタミンCをたくさん摂ったほうがいいですよ…だとか、
お風呂にゆっくり浸かってから寝たほうがいいですよ…だとか。

あ~、うるさい! 余計なお世話だよ!…と思う一方で、他人の優しさが身に沁みる。
優しい人たちに囲まれていて良かったなぁ…と感じる。

そういえば…
かみさんも「おせっかい」だったなぁ…と想い出した。
俺が体調を崩すと、かみさんはいつもオロオロしていたなぁ…と想い出した。

オロオロしながら俺の世話を焼くかみさんの姿が目に浮かび、俺はクスッ…と笑ってしまった。


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俺が子どもの頃のこと。
たぶん4歳から10歳くらいまでの間のことだと思う。

俺は毎晩のように悪夢を見ていた。
どんな内容の夢だったのかはボンヤリとしか記憶していない。
だが、いつも同じようなストーリーの夢だったことは覚えている。

そのボンヤリとした記憶が正しければ、俺は両親に踏み潰されて、殺される夢を見ていたのだ。
悪夢を見ては夜中に飛び起き、泣き叫びながら、家の中を徘徊していたそうだ。

あの頃の俺は、ひょっとすると夢遊病だったのかもしれない。

徘徊していたことも、泣き叫んでいたことも、俺自身の記憶には残っていない。
ただ、ハッキリ覚えていることがある。

幼少期の俺は、眠ることが怖かったのだ。
眠ってしまえば怖い夢を見てしまう…という恐怖心が、俺を眠りから遠ざけていたのだ。

・・・

大学生になって、膨大な量の本を読むようになった。
人文科学や社会科学、自然科学など、分野を問わずに乱読していた。
それらの中に、心理学や精神分析学に加え、精神分析学批判の本もあった。

それらを読んで、俺は自分が幼少期に見ていた悪夢を思った。
そして、なぜ幼少期の俺が、毎晩のように悪夢を見ていたのか、なぜ毎晩のように泣き叫び、家の中を徘徊していたのかを理解した…ような気がした。

両親(とりわけ母親)からの虐待によるトラウマが原因だったのだろう。

・・・

大学3年生の時にかみさんと出逢った。
それ以来、自分が悪夢を見た記憶はない。

かみさんと暮らした20年間。
夢にうなされた覚えはないし、悪夢を見て飛び起きた記憶もない。

あの頃だって、夢くらいは毎晩見ていたんだろう。
だが、俺の心を乱すような夢を見ることはなかった。
ようやく俺は、眠りの中に安息を見い出した。

かみさんと並んで眠ること。
それはとても穏やかで、幸せな時間だった。
俺は眠ることに対する恐怖を忘れ、悪夢を見ることもなくなった。

きっと俺は、かみさんの隣で優しい夢を見ていたに違いない。

・・

ここ最近、夜中に何度も目が覚めてしまう
目覚めるたびに、今まで夢を見ていたな…という記憶が残っている。

それらの夢は、すべてが不快だ。
幼少期のような恐ろしい夢ではないのだが、とても淋しい夢なのだ。

目覚めた直後は夢の内容を覚えている。
だが、時間の経過とともに、記憶はボンヤリしていき、やがては消えてしまう。

それにもかかわらず、とても淋しい夢を見ていた…という事実だけは記憶に残る。
その記憶の残滓が、俺をさらに淋しくさせるんだ。

ここ最近、淋しい夢ばかりを見ている。

それは…
やっぱり俺が、いつだって淋しいからなんだと思う。
淋しいな…と感じる気持ちが、夢の中に投影されているんだと思う。


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