いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2019年02月

26日の火曜日のこと。
残業で帰宅が遅くなってしまった。
その上、帰宅後にはかなりの深酒をしてしまった。

そんな時は早めに床に就いたほうがいい。
俺はシャワーをサッサと浴びて、睡眠薬を飲んで眠りに落ちた。

27日の水曜日。
かみさんの月命日だ。
たかが月命日ごとき…なんて言う奴もいるらしいが、俺個人としては、やはり厳粛な気持ちになってしまう。

ひょっとしたら、何かが起こるかもしれない…とも期待はしたが、特段何かが起こりそうな気配はない。
むしろ淡い期待を裏切るような、軽い鬱状態の中にある。

原因はハッキリしている。
気が遠くなってしまったのだ。

出勤途上の街の中。
俺は今日1日に思いを馳せた。
次の瞬間、俺は愕然とした。

自分が今日1日のことをあらかじめ見通していることに気づいたからだ。
朝には何が起きて、昼には何をして、夜にはどんなふうに眠るのか。
それらのすべてを予想することができてしまったからだ。

そして…
その予想は決して外れることはない…ということさえ予想ができてしまったからだ。

・・・

朝から晩まで同じことしか起こらない毎日を過ごしてきた。
今日は昨日と同じだし、明日も今日と同じだろう。

だからこそ…
1日に起こるすべてのことが、あらかじめ予測できてしまうのだ。

何のアクセントもない毎日が続いていく。
プログラミングされた機械の人形のように、毎日同じことだけを繰り返す。
それはとても苦痛なことだ。

ここは牢獄だ。
かみさんのいない余生は牢獄だ。
とりあえずは「模範囚」を演じているが、牢獄での単調な生活に伴う苦痛は耐え難い。

プログラムどおりに動く人形ならば、まだマシだ。
そこには苦痛などないだろう。

だが…
俺は人間だ。
血の通った人間だ。

それでも俺は…
機械の人形のように生きていくしかないのだろう。
起伏も抑揚もない退屈な余生でありながら、不平や不満を漏らさない「模範囚」として生きていかざるを得ないのだろう。

かみさんの月命日だからと言って、何かが変わるわけではない。
そんな当たり前のことを再確認せざるを得なかったのだ。


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現在、2月26日の火曜日。
時間は午前6時20分だ。

いつものとおり、通勤電車の中でブログを書いている。
この記事がアップされるのは、27日の午前0時00分の予定だ。

気づいた方もいるかもしれない。
今日は普段よりも出勤時間がかなり早いのだ。

朝から仕事が忙しいので、早めに出勤しよう…というのではない。
昨晩は夜中に目覚めてしまうこともなく、数か月ぶりに熟睡できたので、朝の5時には目が覚めてしまったのだ。

かみさんにお供えした後は、やるべきことが何にもない。

いつもの出勤時間までマッタリしていようかな…とも思ったが、やるべきことのない時間を潰すのは難しい。
ついついウィスキーに手が伸びて、酔っ払って出勤できなくなってしまうかもしれない。

そんな事態を避けるため、俺はいつもよりも早めに家を出たのだ。

・・・

熟睡できたせいだろう。
体調は悪くない。

ただ…
やっぱり哀しい。

激しくて、身を引き裂くような「悲しみ」ではないけれど、深くて、深くて、とても深い「哀しみ」だ。

しかし…
体調が良いためだろうか。

かみさんがいる…ような気がする
彼女の纏う、あの独特の明るさと柔らかさが、俺の心身と周囲を満たしている…ような気がするのだ。

そうだ。
かみさんは「今ここ」にいる。

誰にも見えないし、誰も感じないだろうけれど、想い続ける奴が”ひとり”でもいる限り、かみさんは「今ここ」にいる。

何故だか今日は温かい。
俺の周囲の空気が軽い

そうだ…
27日はかみさんの月命日だ…

何かが起こるかもしれないな…と期待しつつ、月命日を迎えようと思っている。


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2月25日の月曜日。
現在、午前6時38分。
俺は通勤電車の中にいる。

虚しいなぁ…と思う。
くだらないなぁ…と思う。
バカバカしいなぁ…と思う。

また朝がやって来てしまったからだ。
しかも、一週間の始まりだからだ。

週末が楽しいわけではないけれど、平日よりはまだマシだ。
休日ならば、最低限の家事だけをこなせばいい。
朝からウィスキーを飲んで、酔いつぶれてしまったとしても、誰にも迷惑は掛からない。

もちろん、独りぼっちの休日は淋しい。
だが、泥酔して眠ってしまえば、自分が独りぼっちであることも忘れることができるだろう。

かし…
平日はそうはいかない。

義務を負わなければならない。
責任を果たさなければならない。

やらなければならないことが、俺にはたくさんあるんだ。

・・・

かみさんが元気だった頃と変わったわけではない。
あの頃だって、平日の俺は、義務と責任を果たすために時間を費やしてきた。

だが…
虚しいなぁ…とは思わなかった。
くだらないなぁ…とも思わなかった。
バカバカしいなぁ…とも思わなかった。

俺が義務と責任を果たすことで、かみさんと俺との暮らし中に、たくさんの潤いと余裕がもたらされたからだ。

その潤いと余裕は貴重だった。
かみさんの笑顔は、この潤いと余裕に支えられている…と思っていたからだ。

しかし…
違ったのだ。
潤いや余裕なんて関係なかったのだ。

かみさんがいつでも笑顔だったのは、彼女の隣に俺がいたからだ。

かみさんの言葉を聴いたあと、俺はようやく理解した。
俺は自分が錯覚していたことに気づいたのだ。

・・・

かみさんの生前。
俺は錯覚に支えられ、様々な義務と責任とを果たしてきた。
それがどんなに過酷であろうとも、俺は逃げなかった。

しかし、今の俺はダメだ。
逃げ出したくて仕方がない。

虚しいのだ。
くだらないのだ。
バカバカしいのだ。

俺は答えを求めて自らに問う。
いったい、何のために?…と問うてみるのだ。

だが、答えは決して見つからない。
だからこそ、虚しくて、くだらなくて、バカバカしいのだ。


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あれは確か…
かみさんが亡くなる5か月ほど前のことだった。

かみさんはまだ元気いっぱいだった。
その3か月後に癌だと診断されるなんて、誰もが夢にも思っていなかった。

当時の俺は、まだ管理職(課長)にはなっていなかった。
課長補佐という中途半端なポジションだったため、課長の業務を代行することが多かった。

その日、俺は都心からわずかに離れた場所に出張した。
課長の代わりに講演会の講師を務めるためだった。

・・・

3時間程度の講演を済ませたあと。
俺は街をブラついてみた。

かみさんと一緒に散歩をするのが大好きだったせいか、知らない街には興味があったのだ。
まだ真冬の1月だったので、外気が冷たかったことを覚えている。

ブラブラ歩いているうちに、俺は並木通りに差し掛かった
道路に沿って、延々と街路樹が植わっていたのだ。

見上げてみると、ソメイヨシノの樹だった。
俺が歩いていたのは、桜の並木道だったのだ。

4月になったら桜が満開になるだろう。
かい陽気にもなるだろう。

4月になったら、再びこの場所を訪れよう。
容ちゃんと一緒にこの並木道を散歩しよう。

ここに連れて来てあげたら、きっと容ちゃんは喜んでくれるだろうな…と想ったんだ。

・・・

先日のこと。
俺は出張し、あの並木道を久しぶりに歩くことになった。

別に歩いてみたかったわけではない。
その道を通らなければ、出張先に着けなかっただけのことだ。

だが…
俺は思い出した。
これは「あの道」だ…と思い出した。

あのとき俺は、容ちゃんを連れてきてあげたいなぁ…と想ったんだ。
満開の桜を見せてあげたら、容ちゃんはきっと喜んでくれるだろうなぁ…と想ったんだ。

だけど…
かみさんはもういないんだ。

俺は歯を食いしばった。
そして、涙が零れるのを堪えたんだ。


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早朝の5時半を過ぎたころ。
まだ日の出の前の時間で、空は薄暗い。
バルコニーでタバコを吸っている。
すると、俺は死にたくなってしまう。

会社から帰宅して、かみさんに線香をあげる。
その後バルコニーに出てみると、既に日は暮れている。
静まり返った空気の中でタバコを吸っている。
すると、俺は死にたくなってしまう。

休日は朝からウィスキーを飲み、わずかに孤独を癒す。
酔っ払ったら眠たくなって、眠たくなったら寝てしまう。
数時間もすれば目が覚める。
すると、俺は死にたくなってしまう。

これらはすべて、希死念慮だ。

明確な”きっかけ”があるわけではない。
原因もハッキリしない。

希死念慮は、いつでも突然やってくるのだ。
時と場所とを選ばないのだ。

俺の内側から噴き出してきて、俺の全身を侵す。
そして、俺の中で暴れ狂うのだ。

いったん取り付かれたらオシマイだ。
周囲に悟られないよう隠すことはできるけど、消すことなんてできやしない。
せいぜい溢れ出ないように抑え込み、鎮まるのを待つしかない。

希死念慮に心身を委ね、「衝動」に従うことができたなら、俺は一瞬で楽になれるはずだ。
だが、そんな勇気も度胸もありはしない。

希死念慮は俺の中にある。
しかし、俺自身の一部ではなく、はっきりとした存在感を持つ異物なのだ。

免疫というモノがある以上、異物ならば排除されるのが当然だ。
それなのに、希死念慮は排除されないのだ。
脳と心臓にこびりつき、宿主を侵し続けるのだ。

・・・

どうせ死ねないくせに、死にたいという「衝動」が噴き上がる。
あのザワザワした感覚は、本当に辛い。

誰かに相談してみたらどうだろうか…とも考えた。
しかし、死にたくなることがあるんだよね…なんて言えば、苦笑されるのがオチだろう。

だから俺は、希死念慮をひた隠すしかない。
誰にも言えない。
誰にも話せない。

ここに死にたい奴がいるけれど…
そんなことは誰も知らないのだ。


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