いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2019年09月

俺はいまだに「闘病記」を書き終えていない。
平成22年6月24日のことを最後に筆が止まってしまった。
だが、いずれは書き上げるつもりだ。

まだ「闘病記」には書いていない、平成22年6月26日の深夜のこと。

かみさんが病室のベッドで呟いた。
普通の生活ができなくなっちゃったでしょ。それがいや…

俺は応えた。
今まで頑張ってきたんだから、
たまにはゆっくりするつもりでいればいいんじゃない?

彼女は頷いた。

そうだ。
あのときの俺たちは、奇跡を信じていた。

いつかは「普通の生活」を取り戻せる。
そう信じていたんだ。

・・


毎週の土曜日。
かみさんが元気だった頃のことだ。

俺は早朝5時には起床する。
隣のベッドを見ると、
かみさんは気持ち良さそうに眠っている。

顔をのぞき込んでみると、かみさんはニンマリと笑っている。
さぞかし良い夢を見ているのだろう。

俺はかみさんを起こさないように、そ~っと寝室を出る。
そして俺は、「筋トレ」に勤しむ。

筋トレのメニューは、
狩猟民族である欧米人向けだ。
日本人である俺にはキツすぎるのだが、それに見合った効果はある。

1時間ほど筋トレをしたらシャワーを浴びる。
そしてインスタントのコーヒーを飲みながら、テレビを視つつ、読書に励む。

ソファーに寝転んで本を読んでいるのは至福の時間だ。
だが、
あまりにもリラックスしているせいか、いつの間にか眠ってしまう。

昼が近くなると、
かみさんが目を覚ます。
俺は眠ったままで、
かみさんが起きてきたことに気づかない。

ゴリゴリという音がして、ようやく俺も目を覚ます。
何の音だろう…と周りを見回すと、かみさんがコーヒー豆を挽いてくれている。
飲みかけのインスタントコーヒーは捨ててしまい、豆からコーヒーを淹れてくれているのだ。

よく見ると、
俺の身体にタオルケットや毛布が掛かっている。
かみさんが掛けてくれたのだ。

その後、軽く食事を摂って、
かみさんと俺は散歩に出掛ける。
他愛のない会話をしながら、
目的地も決めずにのんびりと歩く。
腹が減ったら飯を食い、
喉が渇けば茶店に入り、欲しい物があればデパートに寄り道をする。

そうしているうちに夜は更けて、かみさんと俺の土曜日が終わる。

・・・

普通の生活…
かみさんが取り戻したかったのは、
どこにでもある平凡な日常だった。

たったそれだけのことなのに…
俺はかみさんの願いをかなえてあげることができなかったんだ。

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以前、第一生命の経済研究所が発表した論文を読んだ。
50歳以上79歳以下の男女600名に対し、「死」に関する意識調査を行った。
その結果について考察した論文だ。

この論文の中で、とりわけ目に付いたのが次の点だった。
配偶者や子どもと死別した体験のある人は、「自分の死」を恐れなくなる傾向がある

確かにその通りだと思う。
かみさんが亡くなってから(と言うより、かみさんが癌と診断された直後から)俺自身も「自分の死」を怖いとは思わなくなった。
かみさんが元気だった頃には、あれほど恐れていた死が、今では恐怖の対象ではなくなったのだ。

いつ消えてしまってもいい、いつ死んでしまってもいい。

そんなふうに考えている奴は俺だけなんじゃないだろうか。
ひょっとしたら俺は変なんじゃないだろうか。
そう思う時期もあった。

だが…
第一生命の論文を読む限り、俺はどうやら普通らしい。

それどころか、このブログに書き込まれたコメントを読ませて頂くと、配偶者やお子さんを亡くした人は、積極的に死を希求することもあるということが分かる。

自らの死を望むこと。
それは「希死念慮」だ。

この「希死念慮」は、いったいどこから来るんだろうか。

配偶者や子どもを喪って、人生に絶望しているということもあるだろう。
もはや未来に希望は無く、眼前には真っ暗な闇だけが広がっている。

もう二度と歓ぶこともなく、楽しむこともない。
もう二度と心の底から笑うこともない。

身を引きちぎられるような激しい悲しみと、身も凍るような寂しさ。
ただ哀しくて、苦しいだけの余生が待っている。
その絶望的な余生から逃げ出したい。

そういう気持ちは、俺の中にも居座っている。
愛する人を亡くし、残されたものと言えば絶望だけ。
そういう想いは「希死念慮」の原因になり得るだろう。

だが、「希死念慮」だけではないような気もするのだ。

配偶者や子どもに先立たれ、残された者たちは
死ねば、またあの人に会えるんじゃないか…と感じているんじゃないだろうか。
それは単なる「信仰」なんてものではなくて、
心の底から湧きあがってくる「確信を伴った希望」なんじゃないだろうか。

儚くて、頼りない「確信」ではある。
だが、「希死念慮」とは違う何か、「未来への希望」とでも言えばいいものを感じているんじゃないだろうか。

いつかまた、あの人に会える…
そんな風に感じているからこそ、死を恐れなくなるんじゃないだろうか。

何の確信もないのだが、そんな風に想うことで自分を慰めるしかないのだ。

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かみさんが死んでから数年が経過した。
かつてのような激しい「悲し
み」は薄れたはずだ。

しかし…
あの頃と現在とを比べたときに、現在のほ
うが楽だ…と断言する自信はない。

あの頃は、我慢する必要など全
くなかった。
感情の赴くままに泣き叫び、自分の中に引きこもり、
酒に溺れて死のうとしても、誰も俺を咎めなかった。

だが、
今の俺は、泣き叫ぶことができない。
自分の中に引きこもることも
許されない。

俺は「普通の人」を演じなければならないのだ。

確かに「悲しみ」は鎮まったかもしれない。
だが、俺は「哀しい」の
だ。

内側から破裂しそうな「悲しみ」は薄れたが、身体をジワジ
ワと蝕むような「哀しみ」は、今でも確かに息づいていて、日々成長していく。

だが、「哀しみ」に溺れることはできない。
死別から数年を経た後に生まれる「哀しみ」は、抑圧されて、隠されなければならない。

だから俺は、”やせ我慢”をしている。
だから俺は、元気で明るいフリをしている。

しかし、
それにも限界ってものがあるんだ。

苦しいんだ。
辛いんだ。
痛いんだ。

生きることは拷問だ。
この世界は地獄だ。

こんなに痛い
なら、死んだほうがマシだ…と思うんだ。

それでも俺は、
死ぬ勇気なんかないだろう。
だから俺は、これからも”やせ我慢”を続けていくしかない
んだ。

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9月25日から体調を崩している。

全身がとてもダルい。
咳や痰が止まらない。
27日の未明からは熱も出している。

どうやら風邪をひいたらしい。
本当は休暇を取って寝ていたい。

だが、会社は繁忙期だ。
片付けなければならない仕事が山ほどある。
俺が休んだら部下たちに迷惑を掛けてしまう。

俺は無理をして出勤し、仕事に勤しんでいる。

・・・

カフェインを大量に摂り、脳の中枢神経を興奮状態にもっていく。
するとダルさを感じなくなる。

しかし、体調が回復したわけではない。
あくまでダルさを誤魔化して、身体に無理をさせているだけに過ぎない。

カフェインが効いている間はテンションが高い。
心拍数や血圧が上がっているらしく、多少の息苦しさは感じるが、仕事は捗る。

だが、その日の仕事が終わり、帰宅の途に就くころになると、脳の興奮が覚めてくる。
すると、身体に無理をさせた反動がやってくる。
ダルさと疲れが一気に押し寄せてくるのだ。

帰宅をしたら、何もかもを投げ出して、床に就いて眠りたい。
しかし、ひとりぼっちでは、そうもいかないのだ。
帰宅した後も、最低限の家事くらいはやらなければならないからだ。
そして何よりも、翌朝かみさんにお供えするものの準備をしなければならないからだ。

ダルさと疲れはピークに達している。
それでも俺は、フラフラになりながら家事をこなす。

ようやく床に就くと、すぐに眠りに落ちてしまった。

・・・

かみさんが元気だった頃。
これほどまでに自分の身体を酷使したことがあっただろうか。

仕事は今より遥かにハードだった。
残業時間はハンパじゃなかった。
だが、かみさんがいた頃は、仕事がどんなにキツくても、心はゆったりしていた。

そうだ。
精神的な”ゆとり”があったのだ。

あの”ゆとり”こそ、かみさんが生み出してくれたものだ。
かみさんの醸し出す軽やかな空気が、あの”ゆとり”の源泉だったのだ。

毎日、愛妻弁当を持たせてくれたとか、専業主婦として家事を完璧にこなしてくれたとか、そういうことではない。
ただ、かみさんがいるというだけで、心も身体もゆったりしていたのだ。

俺はあの”ゆとり”を知っている。
ずっと知らずに生きてきたのなら、いまのキツい状況も甘んじて受け入れるだろう。

しかし、俺はかみさんと出会い、”ゆとり”を知ってしまった。
だからこそ、俺はいま置かれた状況に耐えられない。

キツい毎日が続いている。
そんな日々に、俺は唾を吐きたくなってしまうのだ。


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かみさんが元気だった頃。
未来はある程度、見透しの良いものだと思っていた。
1日後や1週間後、あるいは1か月後や1年後、そして数10年後の俺たち夫婦の姿を想像することは、決して難しいことではなかった。

そこに見えていた未来の俺たちは、いつだって幸せでいっぱいだった。
その想像は、おおむね外れることはなく、かみさんと俺は、いつでも笑って生きてきた。

しかし…
かみさんが癌だと診断された日だ。

かみさんと俺は、ようやく気がついた。
一寸先は闇なんだ…という単純だけと、残酷な事実にようやく気がついたのだ。

・・・

かみさんが亡くなってから。
俺は自暴自棄になってしまった。
未来なんて、どうにでもなってしまえ…と思うようになったのだ。

こんな生活をしていたら、自分が壊れてしまうかもしれないとは気づいていた。
だが、壊れるなら壊れてしまえばいい…と思っていた。
俺は自らの意志で、自らの未来を破壊しようとしていたのだ。

そんな俺に、自分の未来が見透せたはずがない。
いずれ俺は孤独死するだろう…というくらいの想像はついていたが、それ以外の未来は真っ暗だった。

だが…
見透せなかったわけではないのかもしれない。
当時の俺は、自分の未来に関心がなかっただけなのかもしれない。

・・・

かみさんがいなくなってから。
それなりの時間が経過した。

それなのに、いまだに俺は、自分の未来を見透すことができない。
まるで靄がかかったみたいにボンヤリしているのだ。

ただ…
靄の向こう側に、未来の輪郭だけがわずかに見えている。

その輪郭はロクなものではない。
とても陰気なのだ。

未来において、かみさんを喪ったときのような、心と身体が引き裂かれるような悲しみを味わうことはないだろう。
かといって、明るい未来が待っているわけでもなさそうだ。

巨大な嵐に襲われることはないだろう。
しかし、さわやかな秋晴れというわけでもなさそうだ。

どんよりと曇った未来だ。
湿度が高くてジメジメした未来だ。

生きていることが本当に辛い。
毎日がとても辛いのだ。

そこから脱け出したいとは思うけど、どうやら俺は、生きている限りは脱け出せそうにない。

だからこそ…
俺はすべての終わりを願うのだ。


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