最近このブログに、次のようなコメントが複数回にわたって書き込まれた。
「配偶者に先立たれた人なんて、この世には沢山います」
「世の中には貴方と同じ境遇の人は沢山いるのです」
ちなみに、IPアドレスを確認したところ、上記のコメントは同一人物が書き込んでいる。

以前にも、「死別は珍しいことではない」だとか、「世の中には、もっと辛い思いをしている人がたくさんいる」なんてコメントが書き込まれたことがある。

そのコメントを見た読者の方々が、これらのコメント主に反論して下さったので、事態は沈静化していたのだが、最近、また同様のコメントが書き込まれるようになった。

・・・

「世の中には貴方と同じ境遇の人は沢山いるのです」

こういうコメントを書きたがる人々には共通点がある。

こういうコメントを書くのは、伴侶と死別したことがない人々だ。
伴侶と幸せに暮らしている人だ。
伴侶との死別を「しょせん他人事」だと思っている人だ。

自分が将来、伴侶と死別するかもしれないなどとは、これっぽっちも想像していない。
いずれは死別すると理屈では分かっているのだろうが、それは遠い将来のことであり、死別の苦しみや悲しみをリアルに想像することができない。

そういう人たちは、上から目線でこの種のコメントを書き込んで悦に浸っている。


「配偶者に先立たれた人なんて、この世には沢山います」

それが何だというのだ?
配偶者に先立たれた人々が、この世に沢山いたからって、それで俺の悲しみが薄れるわけでもないし、このブログを読んで下さる方々の寂しさが癒されるわけでもない。

俺にとっても、このブログを読んで下さっている方々の大半にとっても、「伴侶との死別」という過酷な事実は「他人事」ではない、
自らが身をもって体験したのだ。

その体験が、どれほど遺族の心を抉るものなのか、体験したことのない人には絶対に分からない。
自分の身体の半分をもぎ取られたような感覚も、絶対に理解できない。
伴侶を喪った悲しみというものが、どれほど大きくて激しいものなのか、絶対に想像できない。

そもそも「配偶者に先立たれた人なんて、この世の中には沢山いる」という認識自体がおかしい。
もちろん、高齢者であれば、周囲に死別体験者も多かろう。
平均寿命前後まで生きれば、伴侶を喪い、独りぼっちになってしまった人も多かろう。

だが、そういう人たちと俺とを同列に並べて比べることに、何の意味があるのか?
若年層や中年層で伴侶と死別する人は、この世の中にほとんどいない。
そのことは、以前「0.03%の確率」というタイトルの記事にも書いた。
俺の年代で伴侶と死別する人は、10,000人中たったの3人。

事実、40歳代半ばの俺の友人の中には、伴侶を亡くした人など一人もいない。
20歳代や30歳代であろうと、50歳代や60歳代であろうと、俺の知人の中には、伴侶と死別した人など一人もいない。

何かの統計だの、国勢調査だのの結果を見て、「配偶者に先立たれた人は沢山いる」なんて書き込んでいるのかもしれないが、そんなこと言う人たちに、ぜひ伝えたいことがある。

あなたが伴侶を亡くしたら、あなたは「配偶者に先立たれた人なんて、この世の中には沢山いる」などと言って、簡単に納得できるのか?
若くして伴侶と死別するという体験を、あっさりと受け入れることなどできるのか?

「配偶者との死別」という過酷な出来事が、自分の身に降りかかってから、改めて考え直してほしい。
あなただって、近い将来、伴侶を喪うかもしれないのだ。

あなたが伴侶を亡くした時、「配偶者に先立たれた人なんて、この世の中には沢山いる」なんて、決して言うことはできないだろう。

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