俺はかみさんのことが大好きだ。

確かにかみさんは、亡くなった人だ。
世界中のどこを探しても会えない。
それでも俺は、かみさんのことが大好きだ。

かみさんの笑顔が見たい。
かみさんと他愛ない会話がしたい。
かみさんに触れたい。
何は無くともいい。かみさんが傍にいてくれるだけでいい。

誰かを愛する気持ち、誰かを想う気持ちは、いつだって、その行き場を求めている。
俺がかみさんを想う気持ち。
その気持ちがかみさんに伝わるのなら、俺は嬉しい。
俺の中から発した「愛おしい」という気持ちが、かみさんに届くのであれば、俺は幸せだ。

だが、かみさんは亡くなったのだ。
俺の想いは、行き場を失ったのだ。
俺の想いを受け取ってくれた人は、もうこの世界にはいない。

それにもかかわらず、「かみさんのことが愛おしい」という気持ちが、俺の中に生まれ続ける。
やり場がないのに生まれ続けるから、その想いは俺の中に鬱積するしかない。

鬱積した想いは、まるで異物のようだ。
俺の中で激しく暴れまわり、俺を破裂させようとする。

この苦しみから少しでも逃れようとして、何度も大きく息を吐く。
だが何の効果もありはしない。

あまりにも激しい苦しみに耐えきれず、「消えてしまいたい」という衝動が、俺の頭を貫く。
あるいは、叫びだしたい衝動に駆られる。

だが、叫びだすこともできず、ましてや消えてしまうこともできはしない。
結局は、激しい苦しみに振り回され続けるしかなく、全身を震わせながら、嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだ。

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