かみさんが亡くなったあと、俺は毎日毎晩、泣きじゃくり続けた。
目から涙がこぼれてくるという程度のものではない。
心と身体の中心から激しい悲しみが噴き出してきて、俺を破裂させた。
全身が震え、あまりの悲しみに気が狂ってしまいそうだった。
俺は慟哭し、泣き叫んだ。

そんな日々が約一年半続いた。

・・・

一年半が過ぎた頃から、あまりにも激しい「悲しみ」は、深くて大きな「哀しみ」へと姿を変えていった。
慟哭することは少なくなり、ひそかに震えながらむせび泣くことが多くなっていった。

それと同時に、俺の中に何かが生まれた。
その何かとは、「虚しさ」だ。

悲しむことが虚しいんじゃない。
泣くことが虚しいのでもない。
かみさんを想い続けることが虚しいのでもない。

かみさんがいないのに、俺が生きている、そのことが虚しいのだ。

かみさんのいない世界に価値を見いだせない。
かみさんのいない人生に意味を見いだせない。

朝目覚めた瞬間、大きな虚しさが襲ってきて、すべてを捨ててしまいたくなる。
その虚しさを引きずりつつ、会社に行き、仕事をし、あるいは帰宅してから食事をし、風呂に入ってみたりもするものの、虚しさはいつでも付きまとっていて、心はどこまでも沈んでいく。

過去は確かに光に満ちていたのに、現在はいつでも真っ暗で、未来には何の展望もない。
すべては無価値で、無意味だ。

そうだ。
生きていること自体が虚しくて、意味がないのだ。

俺は何のために生きているんだろう。
これっぽっちの幸福感も無い中で、生き続ける意味って何なんだろう。

かみさんとともにあったはずの幸せは、もう無くなってしまった。

だが、かみさんとともに過ごした過去は、確かに幸せだった。
俺の人生において、意味や価値のある時期もあったのだ。

その時期は既に過ぎ去った。
だから、もう終わったっていいんじゃないかと思うんだ。


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