かみさんが元気だった頃、
俺はいわゆる「唯物論者・唯脳論者」だった。

人間は死んだら灰になる。
人間は死んだら無になる。
死後の世界など無い。
「あの世」など無い。

そう信じていた。

一方で、かみさんは、スピリチュアルなことに多少の興味を持っていたようだ。

江原啓之氏が頻繁にテレビに出ていた頃、かみさんが俺に言ったことがある。
「私、スピリチュアル・カウンセリングに興味があるんだよねぇ」
今振り返って思えば、
かみさんは、亡くなった父親の「魂」との対話を望んでいたのかもしれない。

・・・

かみさんが亡くなった直後から、
俺はかみさんの気配を探し求めるようになった。

だが、俺の脳に染み付いた「唯物論者」としての癖が、
一朝一夕で消せるはずも無い。

かみさんの気配を求めつつも、
一方では、やはりかみさんは無になってしまったんだと感じて絶望していた。

・・・

俺が「唯物論」の拘束から少しずつ自由になっていったのには、
いくつかのきっかけがある。

きっかけのひとつは、夢だ。

俺のブログの中に、「夢の話」というカテゴリーがあるが、
その中の記事で書いたような、リアルで、かつ不思議な夢が、俺を「唯物論」から少しずつ解放してくれた。

とりわけ、「かみさんの気配」というタイトルで書いた記事の夢、
そして、「かみさんの出現」というタイトルで書いた記事の夢。

これらの夢を見ているとき、確かに俺は、かみさんの気配を感じていた。

こうした夢を通じて、少しずつではあるが、俺は「唯物論」から自由になっていった。

・・・

もうひとつのきっかけは、
元福島大学教授 飯田史彦氏の著書、
東京大学医学部附属病院の救急部・集中治療部部長 矢作直樹氏の著書、
及び、跡見学園女子大学名誉教授 武本昌三氏のホームページ
に出会ったことだ。

これらの内容について、ここで触れるつもりはない。
だが、世の中には、「あの世」はある、肉体は死んでも「魂」は生き続けるという考え方があることを知って、少しばかり心が軽くなった。

・・・

今回このような記事を書いたのには、理由がある。

このブログにコメントを書いてくださる方々、
某NPOが主催する「配偶者を亡くした人の分かち合いの会」で出会った方々、
某SNSでお付き合いしている方々、
死別のブログを書いていらっしゃる方々、
みなさん、最愛の伴侶やお子さん、ご両親などを喪った人ばかりだが、
その中には、亡くなった人の気配、死者の「魂」を探し求めている方がとても多いことに気づいたからだ。

多くの人が、「死後の世界」があって欲しい、「あの世」があって欲しいと願っていることに気づいたからだ。

多くの方々が、『自分が死んだら、また「あの世」で再会したい』と願っていることに気づいたからだ。

・・・

俺も、かみさんの「魂」を探し求めている。
かみさんの気配を探している。

俺が死んだら、またかみさんに会えるんだと信じたい。
「死後の世界」があって欲しい。

かつてはガチガチの「唯物論者・唯脳論者」だった俺が、
今では「死後の世界」があって欲しいと願っている。


愛する人を喪うということは、そういうことなのかもしれない。

遺された者が渇望するもの。
それは、愛する人の「魂」の気配だ。

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