かみさんが亡くなってからの数年間。
俺は他人と雑談することができなかった。
精神的には、いわゆる「
ひきこもり」の状態だったのだ。

会社でのオフィシャルな会話はしていたが、談笑することも、
冗談を言うことも、腹の底から笑うこともできなかった。
それどころか、微笑を浮かべることさえ全くできなかった。

いつだって悲しかった。
悲しみはとても激しくて、重たくて、苦しかった。

人前では、眉間にシワを寄せ、
涙がこぼれるのを堪えていた。
自宅でひとりになると、
声をあげて泣き叫んだ。
雨の降る日には、傘で顔を隠し、
泣きながら街を歩いた。

当時、俺の中には悲しみしかなかった。



一年くらい前からだろうか。
ほんの少しずつだが、
俺は雑談ができるようになってきた。
冗談を言って、
周囲の人たちを笑わせることもできるようになってきた。

そういう俺を見て、「彼は立ち直った」
と言う人も少なくないようだ。

だが俺は、
本当に立ち直ったんだろうか。
それとも、
立ち直ったフリが上手になっただけなんだろうか。
自分にも分からない。

いずれにしても、
ひとつだけ確かなことがある。
雑談をした後、笑った後、
他人を笑わせた後、何とも表現しがたい虚無感で、心の中がいっぱいになるのだ。
何も無い世界で、俺がたった独り、
佇んでいるような感覚になるのだ。

笑った直後の一瞬、
時間が止まったような錯覚に陥る。
すぐに時間は動き出すのだが、
そのとき俺は、既に深い虚無の中にいる自分を見い出す。
かみさんの死が、かみさんの不在が、今ここにある確かな現実として、俺に迫ってくる。

虚しいのだ。
切ないのだ。
やるせないのだ。

笑った後の、笑わせた後の、
深くて真っ暗な虚無感。
あの感覚が怖いのだ。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村