半年以上も前のことだったと思う。
あるブログの中に、
俺は以下のような文面を見つけた。

伴侶との死別なんて大したことではない」
伴侶との死別なんてありふれている」
「いつかは誰だって、
伴侶と死別する」
「しょせんは早いか遅いかの問題に過ぎない」

前にも何度か聞かされた言葉だが、こういうセリフを吐く奴に、
伴侶や子どもとの死別体験は無い。
世界で一番大切な人との死別という、人間にとって、最も過酷な体験を知らない。

もちろん、
知らないことを責めてるわけじゃない。
知らないに越したことはないのだ。
知らないで済むことは、
祝福すべきことなのだ。

だが、知らないのなら、
訳知り顔で屁理屈を捏ねるのは止めた方がいい。
体験してもいないのに、全てを分かっているかのように語るのは滑稽でしかない。

そこに死別のリアリティは無い。
伴侶と死別したことのない学者が書いた、「死別からの立ち直りのマニュアル」みたいだ。



前置きが長すぎた。

俺が驚いたのは、上記のブログだ。
そのブログが死別カテゴリーのブログであったこと、そして、ブログ主が「恋人」と死別してしまった人間であることに愕然としたのだ。

そんな人間が
「伴侶との死別なんて大し
たことではない」だとか
しょせんは早いか遅いかの問題に過ぎない」と言えてしまう現実に驚愕したのだ。

そして何よりも、このブログ主と、そのブログにコメントを書く連中が、伴侶やお子さんを亡くして悲しんでいる人たちを、上から目線で皮肉ったり、馬鹿にして面白がっていることに不快感を覚えたのだ。

おそらくブログの主にとって、亡くなった女性は、
いくらでも交換のできる相手に過ぎず、「伴侶」と呼べるほどの存在に昇華してはいなかったのだろう。
まるで「
仮面夫婦」のように、「配偶者」であっても「伴侶」ではない、代替可能な「何か」に過ぎなかったんだろう。

このブログを読んだとき、俺は心底ゾッとした。
背筋が凍りついた。
不気味だった。

その文章の背後には、
血の通った人間がいるとは思えなかった。

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