俺は目の前にある現実に慣れることができない。
かみさんが死んでから数年が経ったのに、かみさんのいない「今ここ」を受け入れることができない。
俺と「今ここ」
との間には、耐えず軋轢が生じていて、俺を取り巻く空間と時間が、俺の皮膚を切り刻む。

俺のいるべき所は「今ここ」じゃない。
「今ここ」
なんか大嫌いだ。

だが生きている限り、人間は「今ここ」
から離れることはできないのだろう。
「今ここ」が、
どんなに過酷で苦痛であったとしても、人間は血を吐きながら、生きていかなきゃならないんだろう。

こんなに苦しいのに、
こんなに悲しいのに、人間はなぜ生きていかなきゃならないんだろうか。
みんな苦しくないんだろうか、悲しくないんだろうか。

そうなのかもしれない。
大多数の人間にとって、「今ここ」
は楽しくて、嬉しくて、幸せなんだろう。

だが「今ここ」は、
ごく少数の人々に牙を剥く。
大多数の人々が笑っている世界の片隅で、牙に引き裂かれた人々は泣いている。

泣いている人々を見ながら
大多数の人々は、「あんな目に合うのが自分じゃなくて良かった」と安堵して、自らの幸せを謳歌する。

「今ここ」は、
いつだってスケープゴートを必要としている。
それで世界が安定するのなら、
それは必要悪なのだろう。

だが、世界の片隅に排除され、
泣いている人々にとって、「今ここ」はあまりにも残酷だ。
やっぱり俺は、「今ここ」を受け入れることはできない。

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