このブログには「闘病記」というカテゴリーがある。
このカテゴリーでは、かみさんが癌と診断された平成22年4月26日から、かみさんを看取る日までのことを書く予定だ


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今回のブログのタイトルは、「嘘をついた負い目」。
このタイトルには、「闘病記」に纏わる深い意味がある。

闘病記」をすべて読んで下さった方ならご存知だろうが、俺はかみさんに嘘をついてきた。
平成22年4月28日、俺は癌研有明病院の医師から、「(かみさんの余命は)年単位ではない」と告げられた
それにもかかわらず、俺はかみさんに「大丈夫だよ。絶対に治るよ」と言い続けてきた。

かみさんに嘘をついていただけじゃない。
俺は自分自身をも騙し続けてきたのだ。

「容ちゃんは絶対に治る」
「容ちゃんは絶対に死なない」
そんなふうに、自分で自分に言い聞かせてきたのだ。

専門家であるはずの医師が、「余命は年単位ではない」と言ったにも関わらず、俺はそれを信用せず、かみさんは治る、かみさんは絶対に死なないと、自分自身に信じ込ませたのだ。

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癌研有明病院の医師からは、「本人に余命を伝えた方がいい」、「もしあなた(俺のこと)が一人で抱えていたら、あなたの神経がもたない」と言われた。

だが、かみさんは、「万が一、自分の余命が3か月だったとしても、自分は知りたくない。プーちゃんにも知って欲しくない。お母さん達にも知って欲しくない。だって、みんな心配するでしょ?」と言っていた
かみさん自身が、自分の余命なんか知りたくなかったのだ

俺はかみさんの望みを聞いてあげたかった。
そして何よりも、かみさんに死の恐怖を抱かせたくなかった。
かみさんには希望を持ち続けて欲しかった。

だからこそ、俺は嘘をつき続けたのだ。

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だが、嘘をついていたことは、俺の心の中に、「しこり」として残った。

最期の最期までかみさんに嘘を言い、かみさんの笑顔を守り通したことはいい。

でも、本当にそれで良かったのか。
俺は正しい選択をしたのだろうか。

それとも余命を伝えるべきだったのか。
事実を伝えることで、かみさんを死の恐怖に脅えさせることが、かみさんに対する本当の思いやりだったと言うのだろうか。

何度も自問自答した。
それでも俺は、納得できる答えを得ることができず、今でも煩悶している。

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ただひとつ、確かなことがある。
かみさん本人が、「自分の余命が3か月だったとしても、自分は知りたくない」と言っていたこと。

その希望だけは、叶えてあげることができたんだ。

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