平日の朝だ。
当然、会社に行かなければならない。
それにも関わらず、鬱がひどくて身動きできないことがある。

数年前ならこんな日は、
何の躊躇もなく会社を休んでしまっただろう。
優秀な部下たちに任せておけば、仕事に支障を与えることはなかったからだ。

だが、
4月に配属された部署は違う。
課長がいなければ仕事が回らない。
俺が出勤しないわけにはいかないのだ。
(部下たちが無能だから、というわけではない)

重く沈み込んだ心に抗い、
ダルい身体に鞭を打ち、俺はスーツに着替えて出勤する。

・・・

どんなに鬱が辛かろうと、インフルエンザで高熱を出そうと、
あるいは肝硬変でダルかろうと、かみさんにお供えをすることだけは欠かしたことがない。
俺にとって、かみさんの供養だけが「やりたいこと」であり、「やらなければならないこと」なのだ。

お供えが済むと、「
今日1日の仕事は終わったな…」、「やるべきことは、もう何もないな…」とさえ思っていた時期もあり、残りの時間は廃人のように過ごしていた。

だが、
今ではそんな暮らしもできなくなってしまった。
廃人のように暮らしていた日々のほうが、今よりも辛くなかったような気がする。

・・・

どんなに鬱が辛くても出勤できるようになってきた…
れは立ち直りの兆しなのかもしれない…
と心療内科の主治医に言われた。

だが俺は、
相当な無理をしている。
高所での綱渡りのように、
ギリギリのバランスで「立ち直りかけた人」を演じている。

これが思いのほか辛いのだ。
エネルギーを補充しても、
それでは全然足りなくて、筋肉や内臓、骨が分解されているかのような感覚だ。

全身が痛い。
身体がダルい。
心が潰れる。

こんなに辛い思いをしてまで、
なぜ耐えなければならないんだろう。
いったい、
いつまで我慢しなければならないんだろう。

俺は早く年を取りたい。
退職したら、
1日中かみさんの仏前に座っていたい。
そして酒でも飲みながら、
廃人のように暮らしてみたい。

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