俺にとって、大切なモノって何だろう。
大切なモノに序列を付けるとしたら、どんな順番になるんだろう。
一番大切モノは言うまでもない、かみさんだ。
かみさんの命、かみさんの笑顔と賑やかなおしゃべり、かみさんと俺とが一緒にいられる奇跡のような時間。
かみさんは俺の生き甲斐だった。
そして、今だって彼女は俺の一番大切なモノだ。
この世には存在しないけど、俺の中には今でも彼女が棲んでいる。
二番目は俺自身の命だった。
かみさんがいた頃は、確かに大切なモノだったはずなんだ。
だが、もはや俺にとっては必要のないモノになってしまい、二番目から脱落してしまった。
三番目は義母や義弟たち。
北海道に住んでいるため、めったに会うことはできないが、俺の唯一の家族だ。
たぶん、今ではかみさんの次に大切なモノかもしれない。
四番目に来るモノはたくさんあって、列挙するのはめんどくさいが、例を挙げれば財産だとか、俺のキャリアや社会的な成功の維持。
その他にもいろいろありそうだ。
・・・
友人や知人の中にも、俺と似たような価値観を持つ人は多い。
そういう人々と俺との関係は良好だ。
かみさんが死んじゃってから、俺は彼ら・彼女らにずいぶんと支えられてきた。
だが周囲には、配偶者よりも自分のキャリアの方が大切だと考えている人もいる。
かみさんが亡くなってから、そういう人たちと俺との間に、何度もトラブルが起こった。
現在に至っても、価値観の相違は多くの軋轢を生んでいる。
・・・
キャリアが一番大事…という人々は、俺がかみさんを亡くして哀しんでいることに違和感を覚えるらしい。
なんで哀しいの?という反応を示す者がいるのだ。
アンタなんかより私のほうが辛いよ!とあからさまに言う人もいるのだ。
伴侶や子どもを亡くしたわけでもないのに、何がそんなに辛いのだろうか。
聞いてみると、思うように昇進できないとか、仕事が辛いとか、子どもが受験生なのに勉強しないとか、そんな答えが返って来た。
俺は苦笑しつつ、静かな怒りを覚えざるを得なかった。
オマエなんかよりも俺のほうが、よっぽど辛い仕事をしてきたわい!とも言いたくなるが、放置するほうがマシだ。
こういう人間と語り合ったとしても、絶対に分かり合えないからだ。
そもそも価値観が根底から違うのだ。
世の中にはたくさんの人間がいて、一人ひとりが独自の価値観を持っている。
それはそれで仕方がないことだ。
だが、伴侶を亡くすなんて大したことじゃない、私のほうがよっぽど辛い…なんて言う連中と、俺は相容れることができない。
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一番大切モノは言うまでもない、かみさんだ。
かみさんの命、
そして、今だって彼女は俺の一番大切なモノだ。
この世には存在しないけど、俺の中には今でも彼女が棲んでいる。
二番目は俺自身の命だった。
かみさんがいた頃は、確かに大切なモノだったはずなんだ。
だが、
三番目は義母や義弟たち。
北海道に住んでいるため、めったに会うことはできないが、
たぶん、
四番目に来るモノはたくさんあって、
・・・
友人や知人の中にも、
だが周囲には、
現在に至っても、価値観の相違は多くの軋轢を生んでいる。
・・・
キャリアが一番大事…という人々は、
なんで哀しいの?という反応を示す者がいるのだ。
伴侶や子どもを亡くしたわけでもないのに、
聞いてみると、
俺は苦笑しつつ、静かな怒りを覚えざるを得なかった。
オマエなんかよりも俺のほうが、よっぽど辛い仕事をしてきたわい!
世の中にはたくさんの人間がいて、
だが、
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コメント
コメント一覧 (11)
お金より何より、愛する人が一番大切なのに!
無神経な発言をする人が多くて傷付きます。
自分の思い通りの返事が返ってこないとキレる人もいます。
私が後悔するようなことをわざわざ言う人もいます。
自分が優位に立った気がするのでしょうか?
毎日悲しくて胸が押し潰されそうなのに、勘弁して欲しいです。
もう疲れました。
何の為に生きているのか分かりません。
早く迎えに来て欲しいです。
おはようございます。
先日、お金のことで酷い目にあってきた女性に、
「棺にお金を入れることはできないのだから、お金は生活できる分だけあればいいのよ」
と話したところ、妙に納得した様子。
でも、彼女は、私が夫と死別していることを知りません。
外に出て、多くの女性と接するようになり、悩み事を聞く機会が増えました。
その人達にとってはとても深刻な問題なのですが、私にとっては些細な事だと思ってしまうのです。
哀しみは小さくはならないけれど、辛い経験をしたことで心が広くなって、相対的に哀しみが小さくなったように感じる日が来るのでしょうね。
台風が近づいていますね。
今日という一日が穏やかに過ごせますように。
たびたびすみません。
先程のコメントを投稿した時刻が、820。
主人の誕生日です。
狙ったわけではなく、偶然です。
こんなところに、小さな幸せを感じます♫
だから、私が理解できない他者の価値観へは少し想像はしつつも触れないようにしています。尊重するという意味で。
けれども、他者から私の価値観へズケズケと踏み込んできたり、時に意見される時もあり、それはたまらなく嫌です。尊重されない寂しさがわきます。
似たような体験をしていても、価値観の違いで生き方や向き方も違います。
それぞれが、それぞれのやり方でよいのです。
プーちゃんさんがご自分のブログへこうして向き合ってらっしゃる姿勢が、私には心地よく、心助けられ、気づきもあり、だから読ませてもらっております。ありがとうございます。
ブログ主様居場所を今日もありがとうございます。
「自分の」子供が。
「自分の」昇進が。
結局、自分のことだけ。
会社を定年したらどうなると思っているのでしょうか。
言葉は悪いですが、会社に残っている人、ましてや会社と関係無い人にとってはクソの役にもたたないのに…
惨めとしか思えないです。
まぁ、その人達は今はわからないんでしょうね。
今日もドコモからお疲れさん \(^o^)/
ねえ?
仮に自分の方が辛いとして、何がどうなるんですか?
どっちが悲しいか競争して何か解決します?
他人と理解し合うなんて、誰も不可能なことなんじゃないかと思います。
みんな一人一人立場も性格も環境も歴史も状況も違うんですから。
ぷーちゃんさんも、他人の事をご自分の物差しで測ってはいけませんよ。
他の人は他の人で、その人だけの辛さがあって、種類も度合いも捉え方も違うものなんですから。
ぷーちゃんさんの悲しみはぷーちゃんさんだけのもの。
誰かと比べてでないとぷーちゃんさんの悲しみに価値がついたり下がったり、何かに認定してもらう必要がある訳でもないんですから。
なんだか、偉そうにすみません。
不適切でしたら削除してください。
皆さま
こんばんは
確かに、辛さや苦しみは人それぞれですよね。震災で御家族は助かったものの、それまで慈しんできた暮らしの全てを失い、見知らぬ土地で仮住まいを強いられた方が、喪失感に堪えきれず亡くなられています。やはりそうした方々にとって、愛着と生き甲斐の原風景は、何物にも代えがたいものだったのでしょう。
ただ、人のいのちは、これを凌ぐものは無いし、在ってはいけないとも思います。そのいのちに纏わる想いや時間も含めて。うまく言えませんが、私自身の終りを考えてみて、最期の瞬間まで抱きしめているに違いないのは、大切なひとの面影でしょう。その瞬間まで、この辛さや苦しみは変わらない。
これ以上の哀しみ、辛さ、苦痛を私は知らない…
半身をもがれた様な…
今まで生きてきて、人目を憚らずこんな慟哭した事は無い。