仕事が終わって会社を出ると、最寄りの駅まで足早に歩く。
道の途中、俺は必ずかみさんに「帰るコール」をする。
かみさんが、「もしもし プーちゃん? 帰ってくる~?」と電話に出てくれる。
俺は「今から帰るよ」と応える。
「今日の夕飯は○○だよ~」、「気をつけて帰って来てね~」という彼女の声に癒される。
俺は電話を切って、家路を急ぐ。
たとえ身体が疲れきっていようと、心は軽い。
もうすぐ容ちゃんに会えるんだ。
・・・
家に帰れば、容ちゃんが俺を待っている。
玄関を開けると、明るい光と温かい空気が溢れてくる。
美味しそうな夕食の匂いも漂ってくる。
俺が「ただいま~」と声を掛けると、かみさんは「おかえり~」と応えてくれて、玄関先まで俺を出迎えに来てくれる。
かみさんは嬉しそうな笑顔で俺を見上げてくれる。
まるで父親の帰宅を喜ぶ娘のようで、かわいくて愛おしい。
その後、かみさんの「マシンガン・トーク」が始まる。
その日にあった出来事を楽しそうに話すかみさん。
トイレに行くときも、風呂に入っているときも、俺の後にくっついて来て、おしゃべりを続けるかみさん。
俺がベッドに入って就寝しようとしても、「私の話を聞いてくれ~!」と叫び、おしゃべりを止めないかみさん。
そんな光景が毎晩のように繰り返されてきた。
・・・
かみさんが亡くなってから、俺は「帰るコール」をする相手を失った。
帰宅する足取りは重たくて、満員電車の中では深いタメ息をついている。
玄関を開けても家の中は真っ暗で、人の気配もなく静まりかえっている。
かみさんを求めて「ただいま…」と呟く。
だが、「おかえり」という声は聞こえてこない。
それがとても哀しいんだ。
・・・
たった一つの「おかえり」という言葉。
わずか四文字の短い言葉だが、この言葉には、全てが込められていた。
俺が存在するだけでいい。
俺の全てを受け容れよう。
そんなかみさんの想いが、「おかえり」という言葉に込められていたんだ。
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かみさんが、「もしもし プーちゃん? 帰ってくる~?」
俺は「今から帰るよ」と応える。
「
俺は電話を切って、家路を急ぐ。
もうすぐ容ちゃんに会えるんだ。
・・・
家に帰れば、
玄関を開けると、
俺が「ただいま~」
かみさんは嬉しそうな笑顔で俺を見上げてくれる。
その後、かみさんの「マシンガン・トーク」が始まる。
そんな光景が毎晩のように繰り返されてきた。
・・・
かみさんが亡くなってから、俺は「帰るコール」
帰宅する足取りは重たくて、
かみさんを求めて「
だが、「おかえり」
それがとても哀しいんだ。
・・・
たった一つの「おかえり」という言葉。
俺が存在するだけでいい。
そんなかみさんの想いが、「おかえり」
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コメント
コメント一覧 (17)
自分とこのおかえりも思いだす。
人生半ばであたたかな居場所を、帰る場所を、素顔で寛げる相手を喪うことは、一部の人にとっては生き馬の目を抜くような残酷さ。
自分にとってもそうだった。
皆さま
こんばんは
プーちゃん、奥さまがおっしゃっていたのをお話してくださったよね、
ひとつだけ願い事が叶うなら、ちっちゃくなってプーちゃんのスーツのポッケに隠れて、いっしょについて行きたいと。
プーちゃんのプレゼンの声にじっーと聞き耳たてたり、そっーと目だけ出して外を覗いたり、眠くなったらプーちゃんの温もりのなかで、すやすや居眠りしたり…プーちゃんと、ずっといっしょにいたい、プーちゃんが好きでたまらなくて、だからおうちに帰ってくると嬉しくて嬉しくて…
プーちゃん、奥さまは幸せです。今も、いつまでも。プーちゃんの傍に、いつもいらっしゃる。
主人の夢を見ました。あの笑顔で椅子に座ってた。急いで抱きしめました。二度と離さないつもりで、主人の名を何度も何度も呼びながら。そしたら「いただきます、させてヨ」なんて言うから、「そっか、ごはんにしようね!」もう一度あの笑顔を確かめて…目が覚めてしまった…また、逃げられちゃった…
つい何かと
金銭の介在を詮索してしまう
天使さんは
さむいです
せめて温かいものを御召し上がりくださいね
おはようございます。
おふたりの幸せなご様子が目に浮かびます。
主人も長身でしたので、いつも見上げるように話しかけていました。
主人もそんな私のことを、「かわいいなぁって思っていたのかしら…」なんて、元気だった頃を思い出し、懐かしさがこみ上げてきました。
ありがとうございます。
四文字の言葉、「ただいま」に「おかえり」、本当に本当にそうですね。
帰宅後のプ一ちゃんさんを追いかける様に一日の報告をあれこれと・・良いですね(^^)
今はもう待っても帰って来ないけれど
時々「あれ?遅いな」とか、思ってしまう事があります。
長い習慣はそう簡単に無くなりませんね。
暗闇に帰るのが嫌なので家の電気はつけて出勤しています。哀しい明るさですが・・は「ただいま、取り敢えず今日も頑張って来たよ」って真っ先に仏前で報告しています。
おはようございます。
私も主人が亡くなって4年
1人毎日仏壇に向かって
「おはよう」、「行ってきます、今日も頑張ります」、「ただいま」そして今日の出来事、いっぱい話をします、言い終わったころなせが気持ちが軽くなり、「お疲れさん」、「今日も頑張ったね」と聞こえる、私にしか聞こえない声、この優しい天使の声を支えに日々生きています。
生きていくのは辛いときもありますが、生きているから幸せもあると信じています。
今日も元気で頑張りましょう。
「ただいま。」私もいつも仕事から帰ってきたら言ってます。
主人は私と年が離れていたので、病気がわかったのが定年の年で、私をいつも迎えてくれました。美味しい手料理はなしですが。
でも料理本など読んで、作ろうと思っていたみたいです。亡くなってから、料理本が出てきました。主人の料理、食べたかったな。
主人は私の料理どう思っていたんだろう?
会いたいな、話がしたいな。
プーちゃんさんも癒やされてたのですね。
これらの言葉がどんなに温かかったか、
どんなに大切な言葉だったのか、
夫と毎日言葉を交わしていた頃は、気がつきませんでした。
今は痛いほどよく分かります。
もう遅いんですけどね・・・
妻が死んでしまって失くしてしまったもののひとつです。
毎朝、このブログを読ませていただいております、かんなと申します。
私も、朝目覚めるたびに、ああ、今日も生きていた…。
いっそ眠ったまま、目覚めなければ、亡き主人のところへ行けるのに…。
もう、ひとりで目覚める朝が辛くて、苦しくて、けれど私には12歳の長男(事情があり、施設で暮らしています)と、9歳の長女がおり、彼らの為に、生きて働かなくてはなりません…。
私も今、実家近くのアパートで、娘とふたり暮らしですが、仕事をしている間は、何とか気を紛らわすことができても、夕方、娘を迎えに行き、「ただいま」と帰ってきても、誰
も「おかえり」とは言ってもらえません…。
娘はいますが、非常におとなしい子なので、帰ってきてもすぐに、TVでアニメを見たり、タブレットでYouTubeを見たりなので、正直、ほとんど会話がありません。
娘がよくしゃべる子なら「今日ねぇ、~ちゃんと~して」とか、たわいない会話をしたりできるのに…。
なので、毎日寂しく生きています。
いつになったら、この寂しさ、不安感、苦しみから解放されるのでしょうか…。
自死したいと考えて、毎日を過ごしています。
けれど、自死だと、きっと主人に会えないだろうと思い、この子供たちの為だけに、日々をやり過ごしています…。
毎日寒さも増して来ますが、お身体に気を付けてください…。
そして登山にキャンプに温泉に・・
もう2度と一緒には楽しめない。
他の誰とも行きたくない。
1人でも行く気持ちにはなれない。
これからは思い出だけで充分です。
昨日、ブログを見つけて寝ずに読み続けました。今わたしのなかはぷーちゃんさんの悲しさや苦しみや愛でいっぱいです。
✩自己紹介✩
わたしは33歳で婚約者の子供を流産し
それが絨毛ガンになってしまいました。
抗がん剤治療後、現在は経過観察で通院しています。
その婚約者は、治療中に去っていってしまいました。
妊娠という幸せになれるはずのタイミングで流産しガンになるという不幸は、これまでの自分の生き方が悪かったからだと感じました。
治療中から私にはおかしな症状が出てましたが、治療終了後 うつ病と診断されました。
復職後1年で退職 精神科病棟へ2ヵ月入院し
いまは自宅療養中です。
✩ぷーちゃんさんへ✩
すごくすてきな奥さまです!
かわいくて楽しくて、読んでいて微笑んでしまうほど!
ぷーちゃんさんの苦しさを感じ続けて読んでいても…奥さまが登場してお話したり動いたり!もーほんとにおもしろかったり、かわいかったり!その感情でいっぱいになります。
ぷーちゃんさん、これからも拝見させてください。