かつて、かみさんは俺の傍らにいた。
手を伸ばせば届くところにいてくれた。

いつでも彼女の笑顔が見えていた。
いつでも彼女の声が聞こえていた。
いつでも彼女の気配を感じることができた。

かみさんの醸し出す空気は暖かかった。
その空気はいつだって、
俺の心と身体を包んでくれた。
俺は安心と平穏の中にいた。

・・・

あの頃は楽しかった。
あの頃は幸せだった。

愛する家族がいたからだ。
大切な家庭があったからだ。

時間と空間を共有しても、
そこに軋轢が生じることはなく、ただひたすら心地好い。
そんな人と一緒にいられることは、無上の幸福なのだ。

・・・

俺はかみさんを守りたかった。
彼女を守るためなら身命を賭す。
その想いが、
俺に「生きる力」を与えてくれた。

かみさんを守るためならば、
あらゆるモノと闘ってきた。
かみさんを傷つけようとするモノ、すべてと闘ってきた。

だが、俺は初めて敗北した。
俺が無力だったために、
かみさんを死なせてしまった。
まだまだやりたいことがあっただろうに…
もっともっと生きたかっただろうに…

かみさんは日頃から、「死ぬときは二人一緒がいいよねぇ…」と言っていた

それなのに、俺は一緒に死んであげられなかった。
かみさんがかわいそうだ…

俺は自分を責めた。
俺のせいで彼女は死んじゃったんだ…
一緒に死んであげることさえできなかった…

そう思ったら、自分が赦せなかった。
俺は罪を贖うために、自らを破壊しようとしてきた。

・・

そろそろ自分を赦してあげてもいいんじゃないか…
時折そんな思いが頭をよぎる。
あえて死を急ぐ必要はないんじゃないか…と思うこともある。

だが、そう思う瞬間はあったとしても、「生きる力」が戻ってこない。
たとえ自分を赦せたとしても、生きようと思う気力が無い。

たぶん今の俺は、積極的に死のうとは思っていないが、かと言って、生きようとも思っていないのだ。
要するに俺は、生きようが死のうがどうでもいいのだ。

・・・

ある人によると、
俺は「自暴自棄」に見えるんだそうだ。

だが、上記のとおり、俺は積極的に死のうとは思っていない。
それならば、「自暴自棄」という言葉は当たらないだろう。

単に、俺には「生きる力」が欠如しているだけだ。
生きようと死のうとどうでもいい。

ただそれだけなんだ。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村