母方の祖父、小学1年生の時のクラスメイト、そして実の父親。
高校2年生の時の友だち、父方の祖父、そして義理の父(かみさんのオヤジさん)。
その後、父方の祖母、母方の祖母…

かみさんの生前。
俺は身近な人との死別を何度か体験してきた。
彼らや彼女らが亡くなった時、俺はそれなりに衝撃を受けた。

衝撃の大きさは様々だ。
かみさんのオヤジさん、
あるいは俺の実父が死んだ時、俺は大きなショックを受けた。
ほんの短期間ではあったものの、日常の暮らしに多少の支障が生じてしまったことを覚えている。

その一方で、この2人以外の死に対して受けた衝撃は、それほど大きくはなかった。
お通夜や告別式に参列しただけであり、日常が乱れてしまうということもなかった。

亡くなったのが誰なのかによって、衝撃の大きさは異なる。
だが、
死んだのが誰であったとしても、自分の「一部」が欠落してしまったような、世界が微妙に変化してしまったような感覚を持ったことは確かだ。

あぁ、そうか…
もうあの人はいなくなっちゃったんだ…
もう二度と、あの人には会えないんだ…

亡くなった人と俺との関係が、良かろうと悪かろうと、俺の人生に少なからず影響を与えてきた人々だ。
身近な人が死ぬたびに、俺の中の「何か」が変化してしまった。

だが、死別による衝撃は、ごく短期間で吸収されてしまうのも事実だ。
亡くなった人々は、
記憶の片隅に追いやられ、俺は平穏な日常に戻っていった。

・・・

だが、かみさんの死だけは違う。
自分の「一部」ではなく、
自分の「真ん中」が欠落してしまった。

かみさんの死による哀しみと、かみさんと暮らした20年間の記憶とは、今でも俺の心の大半を占めている。
俺の日々の生活は、
かみさんの死を中心に廻っているのだ。

他の人々の死と、
かみさんの死とでは、そこが決定的に異なる。
やはり、
自分にとって一番大切な人の死は、遺された者の人生を一変させてしまうのだ。

生きている以上、
身近な人々との死別は避けられない。
だが、
最愛の人との死別だけは、絶対に体験してはいけない。

もしも最愛の人を喪えば、心が崩れ、身体が崩れ、人生が崩れ、世界が崩れてしまう。

やっぱり俺は、想うんだ。
世界で一番大切な人とは、一緒に死んだ方がいいと想うんだ。

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