かみさんが亡くなってから数年。
あれから長い時間が経った。

それなのに、俺には「長い時間が経った」という実感がない。
まるで昨日のことのようだ…なんて言うつもりはないが、つい最近のことのように感じられる。
かみさんの死は、手を伸ばせば届きそうなところにあって、もうそんなに時間が経ったのか?と衝撃を覚えてしまう。

だが…
俺にとっては「つい最近のこと」であったとしても、周囲の人々から見れば「何年も前のこと」だ。

その認識や感覚のズレは、俺と周囲との間に軋轢を生みかねない。
軋轢を避けるためには、どちらか一方が、もう一方に合わせざるを得ない。
この場合、
合わせなければならないのは、家族と死別した当事者だ。

グリーフケアなんて言葉もあって、「家族と死別した人の支え方」について書かれたサイトや本もある。
だが、
以前の記事にも書いたとおり、若年で伴侶と死別した人を支えてくれる奴なんていない

むしろ、
こちら側が周囲に気を遣わなくてはならない。
話したくなくても雑談に加わり、
泣きたくなっても笑顔を作り、引きこもりたくても太陽の光を浴びるしかない。

だが、そんな「
演技」ができるようになるまでは、かなりの時間が必要だ。
死別から数か月で「演技」ができるようになる人もいるんだろうが、やはり個人差は大きい。

ちなみに俺が「演技」に慣れたのは、
昨年の4月であり、まだ1年2か月しか経っていない。

短期間で「
演技」ができるようになった人は、それ以外の人々を激励し、叱咤する。
中には誹謗し、中傷し、あろうことか、
嘲笑しながら優越感に浸っている者もいるらしい。

だが、
そんな連中のことは無視しておけばいい。
焦る必要はないのだ。

いずれは元気なフリをすることができるようになる。
いずれは立ち直ったフリができるようになる。

しかし、「演技」
が板に付いたとき、遺族の心の中に深い「闇」が生まれる。
哀しみを殺すことを強制し、立ち直ったフリを装うことを強要する世界に対する憎悪だ。

俺は今、深い「闇」を抱えているのかもしれない。

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