ここ最近、深く眠ることができない。
就寝前には睡眠薬(
ハルシオンとレンドルミン)を服用しているが、それでも寝付きは良くないし、夜中に何度も目が覚めてしまう。

エアコンのせいで、家の中が冷えすぎているせいかもしれない…と思い、エアコンを消して寝ようとしたこともある。
だが、
クソ暑いので余計に眠れなかった。

熟睡感を得られない日々が続いている。
おかげて頭がボンヤリしているし、身体に疲労が蓄積している。

それでも心と身体の疲れだけなら耐えられる。
数日経って、
疲労が限界に達すれば、自然と熟睡できるはずだからだ。

それまでの辛抱だ…と自分に言い聞かせ、しばらくの間を乗り切ろうと思っている。

・・・

堪えがたいのは心や身体の疲労ではない。
悪夢だ。

浅い眠りの中、途切れることなく見続ける不快な夢だ。

たいていの場合、悪夢のストーリーは覚えていない。
ただ、
嫌な夢を見た…という微かな記憶と、それに伴う後味の悪さだけは、しっかりと心に残ってしまう。

熟睡できないために疲労が溜まっていく。
それに加えて、
悪夢の不快感で気持ちが悪い。

かみさんが亡くなって以来。
俺には「
爽やかな朝」を迎えたという記憶がない。

・・・

かみさんが元
気だった頃。
朝はいつでも爽やかだったような気がする。

残業が多くて疲れが抜けないことも少なくなかった。
二日酔いのせいで、気持ちが悪い日も無くはなかった。
それでも朝には独特の爽快感があったような気がする。

だが、それは脳に刻まれた「爽やかさ」の痕跡にすぎない。
俺の脳には、あのころ確かに爽やかだったはずだ…という記憶が残ってはいる。

しかし、俺の肉体は「爽快さ」の記憶を失ってしまった。
体感としての「爽やかさ」を思い出すことができないのだ。

かみさんの肌の感触は、俺の脳だけではなく、俺の手のひらが記憶している。
かみさんの髪の香りは、俺の脳だけではなく、俺の鼻が記憶している。

そうだ。
過去の記憶は脳に蓄積されているだけではない。
全身に刻み込まれているはずなのだ。
朝の爽やかさの記憶だって、俺の身体が覚えているはずなのだ。

それなのに、どうしても朝の「爽快感」を思い出すことができない。
かみさんが元気だった頃、朝はいつでも爽やかだったはずなのに、俺の身体が覚えていないのだ。

俺の脳は、「あのころ確かに爽やかだった…」と覚えている。
だが、その爽快感を、俺の肉体は忘却してしまったらしいのだ。

・・・

不快感とともに目が覚めて、疲労感とともに朝を迎える。
その不快感や疲労感を背負ったまま、俺はなんとか1日をやり過ごす。
そして夜を迎えると、脱力感で身動きすることもできやしない。

だが、翌朝こそは何かが変わっているはずだ。
翌朝こそは、「あの頃」の爽やかさを思い出すことができるかもしれない…と期待して床に就く。
しかし、朝を迎えて目が覚めたとき、俺はいつでも不快感と疲労感の中にいる。

期待してはみるけれど、その期待は裏切られ、俺は絶望する。
この数年間、俺はそんな円環の中で生きてきたのだ。


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