台風が近づいていて、天気が悪いせいかもしれない。
ひょっとすると、直属の上司に対する不信感のせいかもしれない。
あるいは、病に特有の周期的なものかもしれない。

ここ数日間、鬱がひどい。
抗鬱薬(ドグマチール)
は飲んでいるのだが、気分が滅入って仕方がない。
なんだか無性に哀しいのだ。

誰にも話し掛けられたくないし、
誰にも話し掛けたくない。
他人と関わりたくないのだ。
そもそも他人の姿を目にすることや、声を聞くことさえ鬱陶しいのだ。

だが、仕事をしている以上、他人と会話をしないわけにはいかない。
俺が引きこもってしまったら、部下たちが動揺してしまうだろう。
しかし、鬱の症状が重すぎて、いつものように「元気で明るい課長さん」のフリをすることもできやしない。

独りぼっちは寂しいくせに、一人ぼっちになりたがっている。
まったく面倒くさい奴だ…と自分でも思う。

だが…
これは本当に鬱なんだろうか。
ちょっと違うような気もするのだ。

・・・

俺は「この世界」に存在しているはずだ。
それなのに、「この世界」
にリアリティが感じられないのだ。

大勢の人たちが、俺と同じ空間の中にいて、同じ時間の流れの中にいるはずだ。
それなのに、
彼らや彼女らは、俺から遠く離れたところにいるような気がする。
まるで、別の世界の出来事を、
ベールの向こう側から見ているかのようで、皮膚感覚が伴っていないのだ。

過去を振り返ってみた。
すると、
この感覚は、かつて俺の中にあったものと同じだということに気づいた。

そうだ。
俺は「この感覚」をよく知っているのだ。

医師から「
奥さんの余命は年単位ではない」と告知されたとき。
頭から血の気が引いてしまった。
足元から世界が崩れてしまった。

だが、
あのときの感覚とは何かが違う。

あのとき、かみさんは生きていた。
病気が治ると信じていたせいで、いつもの元気なかみさんがいてくれた。
かみさんの笑顔があったからこそ、俺には一縷の希望があった。

しかし…
かみさんが息を引き取った瞬間。
周囲の世界が俺から遠ざかっていき、
現実感がなくなってしまったのだ。
目の前にある世界が遠のいて、手を伸ばしても届かなくなってしまったのだ。

今の俺の中に蹲る「この感覚」。
それは、かみさんが亡くなった瞬間、俺の中に生まれたものと同じなのだ。

・・・

まるでバーチャル・リアリティのような、
現実感のない世界が俺を取り囲んでいる。
現実感がないくせに、
圧迫感がハンパじゃなくて息苦しい。

心にポッカリ穴が開いている。
半身が削ぎ落とされてしまったみたいだ。

大勢の人間に囲まれている。
それなのに、
俺は独りぼっちだ。

世界で一番大切な人を亡くした者にとって、「
この世界」はこんなにも生きづらいのだ。

にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

にほんブログ村← いつもありがとうございます。ポチッとクリックお願いします。