8月8日の水曜日。

会社から帰宅して、
かみさんに夜のお供えをした。
スーツを脱いで、
シャワーを浴びた。
そのあと俺は、
ウィスキーを飲みながらボンヤリと過ごしていた。

すっかり酔っ払ってしまった俺は、夕飯を食べて寝ることにした。
買ってきた弁当を温めて、かみさんの仏前で食事を始めた。

その時だ。
突然、涙が吹き出してきた。

顔をグチャグチャにして泣いた。
嗚咽が止まらなかった。

だが、
泣くのをやめようとはしなかった。
泣きたい時には泣けばいい。

しかし、俺はなぜ泣いていたんだろう。
理由が分からないのだ。

・・

かみさんが亡くなってから数年間。
俺は毎日、泣いていた。
号泣という言葉のとおり、俺は毎日、泣き叫んでいたのだ。

あれから月日が経つにつれ、泣くことは次第に減っていった。
だが、今でも時折、涙が溢れ出すことがある。
かつてのように「
泣き叫ぶ」ことはなくなったものの、咽び泣くことは少なくない。

不思議なのは、泣いている理由が、俺自身にも分からないことだ。

感情が高ぶることで、涙が吹き出してくる…というのは自覚している。
だが、なぜ感情が高ぶってしまうのか、
俺にも分からないのだ。

・・・

赤ん坊の頃の記憶はな
いが、物心がついた幼少期以降、俺はほとんど泣いたことがなかった。
もしも泣いたりしたら、
毒親が「うるさい!」と怒鳴り、俺を半殺しにしたからだ。
俺は決して泣かない子どもになっていった。

16歳の時に父親が死んで、その際に少しだけ泣いたことは覚えている。
だが、それ以来、
まったく泣いたことがなかった。

それなのに、今の俺は泣き虫だ。
かみさんが癌と診断されて以来、今日までの間、俺はずっと泣き虫だ。

・・・

もともと泣かない奴だった。
涙は堪えるものだと思っていた。

だが、
かみさんが死んじゃってから、俺の涙腺は決壊してしまった。

泣かなかった奴が泣いている。
俺にとって、
かみさんの死ほど悲しい出来事はなかったからだ。

今、改めて思う。
人間にとって、
最愛の人を喪うことほど悲しい出来事なんてないのだ。

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