先日、ある方からコメントを頂いた。
それによれば、今の俺には「
逃避」することが必要なのだそうだ。

このコメントを書いてくださった方は、かなりの洞察力の持ち主なのだと思う。
なぜなら俺は、
かみさんが亡くなって以来、ずっと逃避しようとしてきたからだ。

コメントの主さんは、俺のブログの文面だけを見て、俺の中の暗い欲望を見透かした。
頭が下がる思いだ。

しかし…
いったい何から逃避したいのか。

幸せな人々の輪に入ることからの逃避だ。
あらゆる社会的責任からの逃避だ。
かみさんのいない現実からの逃避だ。

そして…
生きることからの逃避だ。

・・・

かみさんが亡くなって1か月後。
俺は心療内科において、「抑鬱状態(死別反応、睡眠障害)」と診断された。
それから1年が経った頃、俺は会社を休職し、「
抑鬱状態」の治療に専念することになった。

休職している間、
ほとんど全ての人間関係を絶っていた。
顔を合わせて会話をするのは、
義母と2人の義弟、心療内科の主治医、菩提寺のご住職くらいだったと記憶している。
それ以外の人々とは、メールやSNSを通じて繋がっていただけだった。

他者との関わりを最低限に抑え、自宅に引きこもった。
そのおかげで、幸せな人々を視界から遠ざけることができた。
また、社会的責任の多くを放棄することができた。

あの休職の日々は、俺にとって、現実からの逃避だったのだ。

・・・

かみさんが亡くなった直後から。
俺は酒に溺れるようになった。

ビールのような軽い酒ではない。
アルコール度数の高い酒を大量に飲んでいた。
その習慣は、
現在でも変わっておらず、今はウィスキーを愛飲している。

大量のアルコールのせいで、俺は昨年1月28日に自宅で倒れ、2月22日には肝硬変と診断されてしまったが、アルコールが俺を過酷な世界から守ってくれたのは事実だ。

わずかな時間かもしれない。
だが、泥酔すれば、
世界から遠ざかることができる。

酒に溺れることは、
かみさんのいない残酷な世界からの逃避なのだ。

・・・

休職していた時期、俺は「リフレックス」という抗鬱剤を処方されていた。
この薬が俺の体質に合わなかったためだろうか、それとも薬と酒を併用していたためだろうか。
休職中の俺は、
1日に14時間以上も眠っていた。

1日が短くて、
ある種の焦りを感じたことを覚えている。
その一方で、
あの長時間の睡眠は、残酷な現実から俺を解放してくれた。

あの薬を飲んでいたせいもあり、職場復帰するまでに相当な時間が掛かってしまった。
だが、
1日の大半を眠って過ごす生活は、俺の精神の崩壊を防いでくれたのだと思う。

深く、
そして長く眠ること。
それは、俺にとって、現実からの逃避なのだ。

・・・

幸せな人々の輪に入ることからの逃避。
あらゆる社会的責任からの逃避。
かみさんのいない現実からの逃避。

俺はいろんなモノから逃避してきた。

本来、逃避という言葉には、
否定的なニュアンスがある。
だが、
自分を襲った残酷な現実から逃避することがあってもいい。
自分の心を守るためには、逃避が必要な場合もあるんだな…ということを認識した数年間だった。

だが、俺はまだ、
本来の意味での逃避をしていない。
それは、
生きること自体からの逃避だ。

人間は、
耐え難い境遇に置かれてしまうことがある。
その境遇に置かれたとき、耐えられるなら耐えたほうが良いに決まっている。

だが、耐えるしか選択肢が無いというのは、あまりにも残酷だと思うのだ。
だからこそ、最後の選択肢として、
生きることからの逃避があってもいい…と思うのだ。

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