泣き叫ぶことが少なくなっていく。
それにつれて、
次第に気持ちは鎮静していく。

かと言って、
立ち直ってきたというのではないし、穏やかになってきたというのでもない。
慟哭の日々が過ぎ去ると、
鬱の毎日がやってくるのだ。

鬱はとても不快だ。
不快だとは思っても、それに抵抗する気にはなれないし、ましてや闘う気にもなれやしない。
何かに抵抗するための気力や覇気は、鬱が奪い去ってしまうからだ。

そうだ。
鬱は人を廃人にしてしまい、無気力にしてしまうのだ。

哀しいとか淋しいといった、単純な形容詞では表現しきれない感覚だ。
その感覚に、あえて言葉を与えるとすれば、
「消えてしまいたい…」だとか、「潰れてしまいたい…」だとか、「死にたい…」という言葉が最も近いのかもしれない。

・・・

心がとても重たい。
質量の大きさがハンパじゃない。
心が自らの重さに耐えられなくなって、深いところに沈み込んでいく


沈み込んでいくにしたがって、
重力が次第に大きくなっていく。
すると、
心の重さはさらに増していき、いっそう深みに嵌っていく。

深みが増していくと、さらに重力が大きくなっていく。
それにつれて、
心の重たさもいっそう増していく。
そして、
さらに深いところに堕ちていく…

こうして心は、
永遠に堕ち続けていくのだ。

心の落下にブレーキを掛けてくれるものは何にもない。
まるで、
重力崩壊を起こした巨大な恒星のように、際限なく潰れ続けていくのだ。

そうして潰れていけば、
いずれは体積がゼロになり、部分を持たない「点」になってしまうだろう。

しかし、そこは巨大な重力場だ。
密度や温度、時空の歪みは無限大だ。

決して枯れ果てた「点」
ではなく、膨大なエネルギーを蓄えている。
そこには豊かな何かが詰まっているはずだ。

その「何か」は、
光でもなければ、希望でもないかもしれない。
しかし、豊かな「想い」
が詰まっていることは確かなのだ。

周囲の人々から見たら、光さえ飲み込む「闇」
にしか見えないだろう。

だが…
そこは決して空虚ではなく、「あらゆるモノ」
が詰め込まれているのだ。  

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