結婚したことのないオマエたちには分からないだろう。
生涯の伴侶を亡くしてしまったことのないオマエたちには分からないだろう。

家族に囲まれて暮らしているオマエたちには分からないだろう。
この世界に自分の大切な人がいるオマエたちには分からないだろう

何も失っていないオマエたちには分からないだろう。
すべてを持っているオマエたちには分からないだろう。

分からないことを責めようとは思っていない。
分からないのは仕方がないことだ。
経験していなければ、分からないのが当然だからだ。

だが、分からないなら語るべきではない。
分からないなら、分からないと言えばいいだけだ。

それなのに、分からない者たちが、すべてを知っているつもりで語りたがることがある。
分からないにも関わらず、素性を偽ったりしてまで語りたがることもある。

分からない奴らには、評論したり、判断したり、評価したりする資格なんて無いはずだ。
ましてや嘲笑するなんて論外だ。

しかし…
どういうわけか、分からない奴らにばかり、評論し、判断し、評価する権利が与えられている。
どういうわけか、分からない奴らは嘲笑う。
伴侶やお子さんを喪った者たちは、何も分からない奴らから評価され、嘲笑されなければならないのだ。

そして、分からない奴らの評価は、いつだって辛辣だ。
分からない奴らは、たかが死別したくらいで…という言葉を吐くのだ。
分からない奴らは、誰だって死別する、早いか遅いかという些細な問題にすぎない…という言葉を吐くのだ。

そんな言葉に反発を覚え、分からない奴らの評価に抗おうとはしてみるが、無駄な足掻きに終わるだろう。
世界は分からない奴らが支配しているからだ。

だから…
嗤わば嗤え…と割り切ってしまおう。
分からない奴らの評価と嘲笑に身を委ねてしまおう。

そうだ
世界は分からない奴らのモノなのだ。
抵抗したって無駄なのだ。


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