時間が経過するにしたがって、記憶は次第に薄れていくのかもしれない。
手放すまいとは思っても、「それ」は俺から離れていくのかもしれない。
必死で手繰り寄せようとはするけれど、「それ」は決して戻って来ないのかもしれない。

想い出したいとは思っても、想い出すことができない。
どこか遠くに行ってしまったんだろうか。
それとも「無」
になってしまったんだろうか。

いずれにしても、とても哀しい。

だが…
それは突然やってくる。
俺の意思とは無関係に、
かみさんは突然やってくるのだ。

想い出そうとはしても、
想い出すことはできなくなりつつある。
だが、想い出そうとはしなくても、
かみさんの記憶は突然に蘇ってくるのだ。

かみさんと出逢った時の記憶。
かみさんと一緒に暮らした20年間の記憶。

そして…
かみさんが闘病中の、二人の濃密な時間の記憶。
二人が「ひとつ」
になり、絆を確かめ合った「最期の日々」の記憶。

それらの記憶が噴き出してくることがあるのだ。
俺の意思とは無関係に…だ。

だが、俺は泣かない。
2年くらい前なら泣きじゃくっていただろうが、今の俺は泣かない。

しかし、
かみさんと一緒にいた日々の記憶に全身を委ねるとき、俺はかみさんを身近に感じることができる。
かみさんが俺の「中」にいるような温かさを覚えるのだ。

そうだ。
かみさんは俺の傍にいる。

いつでも傍にいるわけではないかもしれない。
でも、
時折かみさんは、俺に寄り添ってくれる。
そのとき俺は、
かみさんの存在をリアルに感じることができる。

想い出そうとしても想い出せないが、想い出そうとしなくても、
かみさんは俺の傍にやってくる。

そして彼女は…
俺の心に触れてくれるんだ。

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