ひとりで生きることに慣れてきたのかもしれない…と思うときがある。
本当に慣れたのであれば、
それに越したことはない。

かみさんを亡くした俺にとって、
ひとりで生きていくことは宿命のようなものだ。
回避できない苦しみならば、その苦しみに慣れたほうがいい。

苦しみを異物として排除しようとしても、それは無駄な足掻きだ。

苦しみは異物ではない。
最愛の人を喪った者たちの心身の一部であり、自己そのものだ。

免疫系がしっかり機能していても、自分自身の一部を排除したりはしない。
それでも排除しようとすれば、自己免疫疾患に陥ってしまうだろう。

排除できないのであれば、
苦しみを内部に吸収し、自分の中に取り込んでしまうしかない。
無理に抑え込むのではなく、消し去るのでもない。

苦しみを受け入れること。
これが遺された自分の人生なんだ…
と諦めてしまうこと。
痛みを抱えつつ、
それでも苦しみに慣れてしまうこと。

慣れていくにしたがって、
かみさんが遠くに行ってしまったようにも感じる。
それは何故だか淋しくて、なんだかとってもやるせない。

だが、時間の経過とともに、
遺族たちは慣れていくのだろう。
苦しみや痛みを抱えていても、
笑顔になれる瞬間が増えていくことだろう。

しかし

本当は慣れてなんかいないんだ。
自分は慣れたんだ…と思い、そのことにわずかな救いを覚えた瞬間、「
それ」は突然やってくるんだ。

慣れたと信じ、忘れかけている以上、
こちらはいつだって「隙だらけ」だ。
そんなときに限って、「それ」
はいきなり襲ってくるのだ。

いつだって「それ」は、やわらかい脇腹に突き刺さる。
いつだって「それ」は、無防備な心に襲い掛かる。

そのとき俺は、自分が溶けていくのを感じる。
アイデンティティが崩れ落ち、人間でない何物かに変わっていくのを感じる。

苦しいんだ。痛いんだ。
哀しいんだ。淋しいんだ。

そうだ。
いまだに慣れてなんかいないのだ。
それは如何ともしがたいが、いずれはきっと慣れる日が来るだろう…と信じるしかない。

もがき続けていればいい。
もがき続けていれば、いずれは俺の命が尽き果てる日が来るだろう。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

にほんブログ村← いつもありがとうございます。ポチッとクリックお願いします。