ごく稀にだが、静かな気分で目が覚めることもある。
とても重たくて、とても哀しいのだが、それでも強烈な不安感はない。

不安感さえなければ普通の一日を過ごせるかもしれない。
今日こそは穏やかな一日になるだろう…と思いつつ、俺は床を出る。

だが…
床を出た瞬間だ。
強烈な不安感に襲われるのだ。

全身が震えている。
脂汗が噴き出してくる。

心臓が早鐘を打っている。
呼吸が荒い。

この不安感が辛いのだ。
もう一度、眠ってしまいたいと思うのだ。
眠ってしまえば不安感から逃れられるはずだからだ。

それでも俺は、かみさんの仏前に座って線香に火を灯し、朝のお供えをする。

線香に火をつける手が震えている。
お供えをする手が震えている。

強烈な不安感に耐えられず、俺は仏前でつぶやく。
容ちゃん、助けて…とつぶやいてしまう。

それでも不安感は鎮まらない。
この不安感に耐えられない。

俺は精神安定剤(セルシン)を飲む。
しばらく様子を見るのだが、それでも不安感は治まらない。

もう耐えられないと思った。
だから俺は、朝からウィスキーを飲んだ。
しばらくすると、強烈な不安感は鎮静していった。

・・・

不安感の対象は不明瞭だ。

何かが怖いわけではない。
誰かが怖いわけでもない。
なんの理由もないのに不安感が襲ってくるのだ。

不安感の原因は分からない。
だが、世界でいちばん大切な人が死んじゃった…ということと無関係ではあるまい。
また、俺がひとりぼっちになってしまった…ということも遠因であることに間違いない。

だからと言って、不安感の原因をかみさんの死に求めることはできない。
周囲の人々にとって、かみさんの死は”何年も前のこと”だからだ。
仮に俺が、”かみさんが死んじゃったから辛いんだ…”と言ったとしても、”それって何年も前のことだよね”と言われるのがオチだからだ。

しかし…
俺を襲う不安感の源泉が、かみさんとの死別にある…と考えてくれる人もいる。
俺の通院している心療内科の主治医だ。
そして、俺と同じ経験をしてしまった人たちだけだ。

・・・

誰かに理解してもらおうとは思わない。
誰かが同情してくれることも期待していない。

理解も同情もいらない。
だが、現に不安感は”今 ここ”にあるのだ。

その原因が、かみさんとの死別にあると思ってくれなくてもいい。
しかし、現に不安感は”今 ここ”にあるのだ。

死別と不安感との間の因果関係を認めてくれなくてもいい。
それでも不安感というものが現に存在しているということだけは、知ってほしいと思うのだ。


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