悲しいことがあったとき。
人はどのように対処すればいいのだろうか。
人は悲しみとどのように向き合えばいいのだろうか。

それ以前の人生においても、さまざまな悲しいことはあったはずだ。
だが、それらを克服することで、人々は悲しい出来事への耐性を高めていくのだろう。

だとすれば、人々はそれなりに悲しいことに対する免疫を持っている。
ある程度の年齢になれば、誰でも幾多の悲しい出来事を経験済みだからだ。

年を取るにしたがって、経験値が上がっていく。
そのおかげで、新たに悲しいことがあったとしても、人々はそれを乗り越えていくことができるのだ。

しかし…
とても悲しいことがあったときは、どうすればいいんだろうか。
それまでの経験値が役に立たないくらい激しく大きな悲しみに襲われてしまった場合、いったいどうすればいいんだろうか。

自分の人生の中で、いちばん悲しい出来事に遭ってしまったとき…
それまでに体験してきた悲しいことを、はるかに凌駕するような悲しい出来事に遭ってしまったとき…

人はいったいどうすればいいんだろうか。

誰かに話を聞いてもらいたい…と心の底から思うだろう。
誰かに寄り添っていてもらいたい…とも思うだろう。
誰かの膝の上で泣かせてほしい…とも思うかもしれない。

だが…
その「誰か」は誰でもいいわけではないのだ。
自分がいちばん大切に想っている人であり、自分をいちばん大切に想ってくれている人なのだ。

人生で最も悲しいことを体験してしまったとき。
人はその「誰か」に傍にいてほしいと思うのだ。

しかし…
人生で最も悲しいのは、その「誰か」の死だ。
その「誰か」が死んでしまったとき、いちばん傍にいてほしいはずの人は、すでに「この世」にはいないのだ。

そうだ。
いちばん悲しい出来事が起こってしまったときにこそ、いちばん傍にいてほしいはずなのに、その「いちばん傍にいてほしい」人がいなくなってしまったのだ。

伴侶との死別というのは、そういうものなのだ。

いちばん傍にいてほしいときに傍にいない…
あの感覚は今でもハッキリ覚えている。

あれこそが、絶望の始まりだったのだと思う。


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