某SNSの中で、俺は「自分が誰にも必要とされていない」という主旨のつぶやきをしたことがある。
それに対し、ある女性から「あなたは管理職じゃないですか!会社で必要とされているじゃないですか!」という内容のコメントを頂いた。

念のために言っておく。
このコメント主は俺を攻撃していたわけではないし、誹謗中傷していたわけでもない。
ご自分も大切な人を亡くされて、悲しい思いをしている中で、俺を叱咤激励してくれた心の優しい人なのだ。

それでも俺は、「自分が誰にも必要とされていない」という気持ちを拭えない。
むしろ日を追うごとに、その気持ちは強くなっていく。

確かに会社では管理職を務めている。
数万人の社員の中で、管理職になれるのは8%しかおらず、残りの92%は管理職になれずに定年退職を迎える…というのは以前の記事にも書いたが、この数字だけを見ると、「管理職は会社に不可欠な人材だ」と勘違いされてしまうかもしれない。

だが、実際には不可欠でも何でもない。
俺だってだって代替可能な「部品」にすぎないのだ。

俺がいなくなれば、残りの92%の誰かが管理職になり、俺の欠けた穴は、いとも簡単に埋められる。
そして、俺が存在していたこと自体、あっさり忘れられていくだろう。

・・・

学校や会社、地域社会など、人々はさまざまなコミュニティに属している。
しかし、それらの人々の一人ひとりは、コミュニティの代替可能な要素にすぎない。

いなくなっても誰も困らない。
いなくなってもコミュニティ自体は存続していく。
コミュニティから見れば、一人ひとりは代替可能な「駒」にすぎないのだ。

しかし…
この世界には、自分にとって”かけがえ”のない人がいる場所もある。
自分が誰かにとって”かけがえ”のない存在になり得る場所もある。

それこそが家庭だ。
世界で唯一、代替不可能な人々が集まっているのが家庭なのだ。

俺が生まれて以来、俺を”かけがえ”のない存在だと思ってくれたのは、世界でたったひとり”かみさん”だけだ。
俺が生まれて以来、俺が”かけがえ”のない存在だと思っていたのも、世界でたったひとり”かみさん”だけだ。

だが、もはや彼女はいない。
俺は誰から見ても代替可能な「駒」になってしまったのだ。

だから俺は思うんだ。
俺は必要のない人間なんだ…と思うんだ。


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