かみさんが亡くなってから。
俺はずっと自問自答してきた。

かみさんがいないのに、それでも自分が生き続ける意味を問うてきたのだ。
かみさんのいなくなった世界の中で、いったい自分は何のために生きているのか分からなくなってしまったのだ。

俺は混乱し、煩悶し、そして悲嘆した。

世界でいちばん大切な人が死んでしまった。
それなのに、俺はなぜ生きなければならないのだろうか。

世界でただひとり、俺が守ってあげなければいけない人が死んでしまった。
それなのに、俺はなぜ生きなければならないのだろうか。

俺はただひとつの生き甲斐を無くしてしまった。
それなのに、俺はなぜ生きなければならないのだろうか。

俺は幸せの唯一の源泉を失ってしまった。
それなのに、俺はなぜ生きなければならないのだろうか。

俺は俺に生きる意味を与えてくれた人を喪ってしまった。
れなのに、俺はなぜ生きなければならないのだろうか。

かみさんのいない世界はカラッポだ。
かみさんのいない世界は地獄だ。

だから俺は死にたい…と思った。

こんなことをブログに書くと、「さっさと死ねば?」という主旨のコメントも届くことがある。
そりゃあ死ねるものなら死にたいさ…

だが、本能の拘束力は予想以上に強力だ。
死にたくなっても簡単には死ねるもんじゃない。

しかし…
生きる意味を探すことを諦めてしまえば、少しは楽になれるんじゃないだろうか…と思った。
生きる意味を問うからこそ辛くなるんじゃないだろうか…と思った。

俺は(一時的に)生きる意味を問うのを止めてみた。
怠惰で無為に生きてもいいんじゃないか…と思った。
なんだか心が軽くなるんじゃないだろうか…と期待した。

だが…
期待は裏切られてしまった。

なぜ生きなければならないのかを考えるのを止めたとしても、生きることは哀しくて、生きることは苦しくて、生きることは辛いことに変わりはないと気づいたのだ。

これは死別とは関係がないのかもしれない
生きている限り、人間は哀しくて、苦しくて、辛いのだ。

それは人生の真理だ。
おそらく誰もが知っているのだ。

俺だって知っていたはずだ。
両親に虐待されて、何度も殺されかけて、親から離れるために家出をし、大学の学費を自分で稼いだ。
あの頃すでに、俺は生きることが苦しいことを知っていたはずなのだ。

しかし…
俺は忘れてしまっていた
人生は楽しくて、幸せで、暖かくて柔らかいと思い込んでしまっていたのだ。

あれは幻想だったのかもしれないが、俺は初めて生まれてきて良かった…と思うことができた。
あの幻想を見せてくれたのが、かみさんだった。

だが、幻想は幻想にすぎなかったのだ。

生きる意味を考えるのを止めてしまった。
それで楽になれると思ったのに、やっぱり生きることは哀しくて、毎日が苦しくて、とても辛いのだ。


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