かみさんと付き合い始めたのが1990年。
翌91年には同棲を始めていた。

あの頃の俺たちは勤労学生で、学費も生活費も自分で稼がなくてはならなかった。
かみさんと俺には自由になるカネが多くはなかったのだ。

そんな二人の見つけた楽しみが「散歩」だ。

散歩にはカネがかからない。
せいぜい腹が減ったときの食事代と、飲み物を買えるくらいのカネがあれば十分だ。

見たことのない街に来れば、新しい発見があり、ちょっとした冒険をしているような気分だった。
かみさんと俺は、あのウキウキした感覚が好きだった。

毎週の土曜日。
かみさんと俺は、昼過ぎから夜遅くまで、他愛のない会話をしながら気ままに散歩を楽しんだ。

俺が今の会社に入り、経済的な余裕ができて、かみさんが専業主婦になったあとも、俺たち夫婦の散歩は続いた。

そして…
癌だと診断されたあとも、かみさんは俺と散歩をしたがった。

かみさんと俺が二人で最期に散歩をしたのは、かみさんが癌研有明病院に入院する直前だった。

・・

かみさんが元気だったころ。
俺たち夫婦はたくさん歩いてきた。
週末はもちろんのこと、かみさんの実家(北海道)に遊びに行ったときも、国内や海外を旅行したときも、俺たち二人は歩いてばかりいた。

でも…
今の俺は、歩くのが大嫌いだ。
勤するときや買い物に行くときしか歩かない。
目的地も決めずにダラダラ歩くのが好きだったのに、今は必要最低限しか歩かない。

ひとりは虚しいからだ。
ひとりは淋しいからだ。

どんなにたくさん歩いても、そこには俺を待っている人はいない。
こんなに哀しいことはない。

俺は歩くという行為自体が好きだったわけではないのだろう。
かみさんと一緒にいることが好きだったのだ。

かみさんと同じものを見て、かみさんと同じものを聞いた。
俺たち二人は時間と空間のすべてを共有することが好きだったのだ。

・・・

俺は歩くことが大嫌いだ。
たぶん散歩なんて二度としないだろう

かみさんと二人で散歩をしていた頃を想う。
二人で一緒に見た風景、あの何とも表現しがたい高揚感を想い出す。

そして、あの頃は楽しかったな…と思う。
もう一度、あの時間を取り戻したいと思う。

だが…
こればっかりは本当にどうしようもないのだ。


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