かみさんが元気だった頃だって、辛いことはたくさんあった。
だが、どんなに辛いことであったとしても、必ず「終わり」がやってきた。

1日の仕事が終わって退社をし、帰宅をすれば、かみさんが笑顔で待っていた。
かみさんの笑顔を見ると、俺の心は弛緩して、身体の緊張がほぐれていった。

あの瞬間に感じた癒しは、俺にとってのゴールであって、1日の「終わり」だったのだ。

毎週金曜日を迎える頃には1週間分の疲れが溜まっていた。
この日の仕事が終われば週末だ。
疲れきった身体に鞭を打ち、何とか1日を乗り切った。

家に帰れば、かみさんが笑顔で俺を出迎えてくれた。
かみさんの笑顔は、これで1週間が終わったんだという解放感と、かみさんのところに還ってきたんだという安心感を与えてくれた。

あの解放感と安心感は、俺にとってのゴールであって、1週間の「終わり」だったのだ。

会社が繁忙期になると、帰宅は毎日午前様だった。
土日や祭日も出勤せざるを得ないことが多く、過労死する者もいるほどだった。
そんな日々が5か月以上も続いた。

先に寝ててね…と言う俺に対し、うん。先に寝てるね…とかみさんは応えた。
それなのに、俺が真夜中に帰宅してみると、かみさんは俺を待っていてくれた。
そんな5か月間が過ぎ、グッタリした身体で家に帰ると、かみさんは笑顔で俺を抱きしめてくれた。

かみさんの笑顔は、俺にとってのゴールであって、1年間の「終わり」だったのだ。

・・・

どんなに辛いことがあったとしても、必ず「終わり」がやってくる。
そして、「終わり」の後には必ず癒しが訪れる。

だからこそ、人間は辛いことにも耐えられるのだ。

9月10日の午前5時45分。
俺は自宅のバルコニーでタバコを吸っていた。

そのとき俺は思ったのだ。
毎日が辛い。
毎日が苦しい。
いったい、いつになったら終わるんだろう…


次の瞬間、俺は気がついた。
どんなに辛くても、決して「終わり」は来ないのだ。
どんなに苦しくても、もう二度と「終わり」は来ないのだ。


気が遠くなった。
怖くなった。
逃げ出したくなった。

俺は「終わり」の無い余生を想い、ウンザリしてしまったのだ。


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