意識と無意識(深層心理)との間には「壁」がある。
意識は整然としているが、無意識は混沌としている。
混沌とした無意識から整然とした意識を守るため、壁は存在しているのかもしれない。

だが、あまりに混沌としているためか、無意識の領域は高熱を持っている。
抑圧された悪夢のような記憶、すでに忘れてしまったはずの過去の記憶が蓄積しているため、無意識は強くて激しい熱を持っているのだ。

一方、整然とした意識の領域は冷えているような気がする。
だからだろうか、空気が涼しいところから暑いところに流れるように、整然としているはずの意識が壁を越え、無意識の領域に浸透し、そこに抑圧された記憶をのぞき込むのだ。

とりわけ眠っている間は顕著だ。
意識が無意識と混ざり合い、意識が無意識の中の記憶に侵される。

あれは無意識による意識への暴力だ。

・・・

俺はガキのころ(小学校4年生くらいまで)、頻繁に悪夢を見たらしい。
悪夢を見るたびに暴れだし、両親を驚かせていたそうだ。

どんな夢を見ていたのか。
本当に俺が暴れたのか。
俺自身の記憶はない。

だが、翌朝に目覚めると、寝る前に着ていたパジャマがビリビリに破けていたことが何度もあった。
あれは俺が暴れた痕跡だったのだろう。

成長に伴って、夜中に暴れだすことは減ったものの、大学生になっても悪夢から自由になれることはなかった。

・・・

かみさんと出会ってからは、ほとんど悪夢を見ていない。
まったく見なくなったとまでは言わないが、悪夢を見たという記憶もないのだ。
たぶん多少は見たんだろうが、数えるほどしか見ていなかったんだろう。

しかし…

かみさんが亡くなってから、俺は頻繁に悪夢を見るようになってしまった。

ひょっとすると、寝ている間はうなされているのかもしれない。
だが、かみさんが隣にいないので、自分がうなされているのか分からないのだ。

夢の内容はさまざまだ。
しかし、そこにはある種の共通点が垣間見える。

俺が夢の中で体験するもの。
それは人間の悪意であり、人間の狡猾さだ。
それは人間の醜悪さであり、人間の卑劣さだ。
それは人間の残酷さであり、人間の残忍さだ。

それらは俺の無意識に刻み込まれた、人間に対する印象の反映なのだろう。

それほどまでに…
俺は人間という生き物を憎悪しているのかもしれない。


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