平日の朝はとても辛い。
深い「抑鬱」とともに目覚めるからだ。

まるで大きな重力場に落ちてしまったかのようだ。
心があまりに重いのだ。

生きていることが辛い。
生きていることが苦しい。
この苦しみから逃れたいと、心底思う。

逃れるためには、眠ってしまうか死んでしまうか、二つに一つの選択肢しか与えられていない。
しかし、俺はいずれも選ばない。

死んでしまうのは怖くはない。
かみさんを亡くして以来、自分が死ぬことに対する恐怖は消えてしまったからだ。
だが、自ら命を断つ勇気もない。

だからと言って、眠ってしまうこともできない。
会社に行って仕事をしなければならないからだ。
いまだに俺は、俗っぽい責任感に縛られているらしい。

とても深い抑鬱を抱えたまま、俺は会社に出勤する。
やはり気分はとても重い。

しかし、部下たちが出勤してくると、次第に鬱は軽くなっていく(ような気がする)。
仕事に集中しているときは、元気なフリができるのだ。

そして夜を迎えれば、睡眠薬を飲んで寝てしまえばいい。
すると、ようやく平安が訪れるのだ。

翌朝になると、再び抑鬱とともに目が覚める。
そして、自分が大きな重力に縛られていることに気づく。
だが、仕事に集中している間だけでも、俺は抑鬱から自由(に見えるはず)なのだ。

そうだ。
俺にとって、平日は「まだマシ」なのだ。

・・・

耐えられないのは休日だ。
平日と同様、抑鬱はとても深い。
だが、それはウィスキーを飲めば誤魔化すことができる。

どうしようもないのは「空虚感」だ。

やりたいことが何にもないだとか、やるべきことが何にもないだとか、集中できるものが何にもないだとか、そんなことではない。
本当に何にもないのだ。

カラッポ”なのだ。
がらんどう”なのだ。

”真っ黒”なのだ。
”真っ暗”なのだ。

気が狂いそうだ。

朝目覚めた瞬間から夜が来るのを待つ。
いつだって、早く夜にならないかな…と思っている。

いや、思っているのではない。
渇望しているのだ。
砂漠の中で一滴の水を求めるように、俺は夜を渇望しているのだ。

俺は夜を強引にたぐり寄せようとしている。
夜が来れば睡眠薬を飲み、眠ってしまうことができるからだ。
そして、眠ってしまえば平安が訪れるからだ。

数時間後には朝が来て、再び「空虚感」に怯えることになるだろう。
死にたくもなるし、気が狂いそうにもなるだろう。

それでも寝ている時間だけは穏やかだ。
意識のない時間だけは平安だ。

だからこそ…
朝から夜まで、一日中、夜を待ち続ける。
それが俺の休日だ。


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