かみさんが元気だった頃。
未来はある程度、見透しの良いものだと思っていた。
1日後や1週間後、あるいは1か月後や1年後、そして数10年後の俺たち夫婦の姿を想像することは、決して難しいことではなかった。

そこに見えていた未来の俺たちは、いつだって幸せでいっぱいだった。
その想像は、おおむね外れることはなく、かみさんと俺は、いつでも笑って生きてきた。

しかし…
かみさんが癌だと診断された日だ。

かみさんと俺は、ようやく気がついた。
一寸先は闇なんだ…という単純だけと、残酷な事実にようやく気がついたのだ。

・・・

かみさんが亡くなってから。
俺は自暴自棄になってしまった。
未来なんて、どうにでもなってしまえ…と思うようになったのだ。

こんな生活をしていたら、自分が壊れてしまうかもしれないとは気づいていた。
だが、壊れるなら壊れてしまえばいい…と思っていた。
俺は自らの意志で、自らの未来を破壊しようとしていたのだ。

そんな俺に、自分の未来が見透せたはずがない。
いずれ俺は孤独死するだろう…というくらいの想像はついていたが、それ以外の未来は真っ暗だった。

だが…
見透せなかったわけではないのかもしれない。
当時の俺は、自分の未来に関心がなかっただけなのかもしれない。

・・・

かみさんがいなくなってから。
それなりの時間が経過した。

それなのに、いまだに俺は、自分の未来を見透すことができない。
まるで靄がかかったみたいにボンヤリしているのだ。

ただ…
靄の向こう側に、未来の輪郭だけがわずかに見えている。

その輪郭はロクなものではない。
とても陰気なのだ。

未来において、かみさんを喪ったときのような、心と身体が引き裂かれるような悲しみを味わうことはないだろう。
かといって、明るい未来が待っているわけでもなさそうだ。

巨大な嵐に襲われることはないだろう。
しかし、さわやかな秋晴れというわけでもなさそうだ。

どんよりと曇った未来だ。
湿度が高くてジメジメした未来だ。

生きていることが本当に辛い。
毎日がとても辛いのだ。

そこから脱け出したいとは思うけど、どうやら俺は、生きている限りは脱け出せそうにない。

だからこそ…
俺はすべての終わりを願うのだ。


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