かみさんが死んでから数年が経過した。
かつてのような激しい「悲し
み」は薄れたはずだ。

しかし…
あの頃と現在とを比べたときに、現在のほ
うが楽だ…と断言する自信はない。

あの頃は、我慢する必要など全
くなかった。
感情の赴くままに泣き叫び、自分の中に引きこもり、
酒に溺れて死のうとしても、誰も俺を咎めなかった。

だが、
今の俺は、泣き叫ぶことができない。
自分の中に引きこもることも
許されない。

俺は「普通の人」を演じなければならないのだ。

確かに「悲しみ」は鎮まったかもしれない。
だが、俺は「哀しい」の
だ。

内側から破裂しそうな「悲しみ」は薄れたが、身体をジワジ
ワと蝕むような「哀しみ」は、今でも確かに息づいていて、日々成長していく。

だが、「哀しみ」に溺れることはできない。
死別から数年を経た後に生まれる「哀しみ」は、抑圧されて、隠されなければならない。

だから俺は、”やせ我慢”をしている。
だから俺は、元気で明るいフリをしている。

しかし、
それにも限界ってものがあるんだ。

苦しいんだ。
辛いんだ。
痛いんだ。

生きることは拷問だ。
この世界は地獄だ。

こんなに痛い
なら、死んだほうがマシだ…と思うんだ。

それでも俺は、
死ぬ勇気なんかないだろう。
だから俺は、これからも”やせ我慢”を続けていくしかない
んだ。

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