以前、第一生命の経済研究所が発表した論文を読んだ。
50歳以上79歳以下の男女600名に対し、「死」に関する意識調査を行った。
その結果について考察した論文だ。

この論文の中で、とりわけ目に付いたのが次の点だった。
配偶者や子どもと死別した体験のある人は、「自分の死」を恐れなくなる傾向がある

確かにその通りだと思う。
かみさんが亡くなってから(と言うより、かみさんが癌と診断された直後から)俺自身も「自分の死」を怖いとは思わなくなった。
かみさんが元気だった頃には、あれほど恐れていた死が、今では恐怖の対象ではなくなったのだ。

いつ消えてしまってもいい、いつ死んでしまってもいい。

そんなふうに考えている奴は俺だけなんじゃないだろうか。
ひょっとしたら俺は変なんじゃないだろうか。
そう思う時期もあった。

だが…
第一生命の論文を読む限り、俺はどうやら普通らしい。

それどころか、このブログに書き込まれたコメントを読ませて頂くと、配偶者やお子さんを亡くした人は、積極的に死を希求することもあるということが分かる。

自らの死を望むこと。
それは「希死念慮」だ。

この「希死念慮」は、いったいどこから来るんだろうか。

配偶者や子どもを喪って、人生に絶望しているということもあるだろう。
もはや未来に希望は無く、眼前には真っ暗な闇だけが広がっている。

もう二度と歓ぶこともなく、楽しむこともない。
もう二度と心の底から笑うこともない。

身を引きちぎられるような激しい悲しみと、身も凍るような寂しさ。
ただ哀しくて、苦しいだけの余生が待っている。
その絶望的な余生から逃げ出したい。

そういう気持ちは、俺の中にも居座っている。
愛する人を亡くし、残されたものと言えば絶望だけ。
そういう想いは「希死念慮」の原因になり得るだろう。

だが、「希死念慮」だけではないような気もするのだ。

配偶者や子どもに先立たれ、残された者たちは
死ねば、またあの人に会えるんじゃないか…と感じているんじゃないだろうか。
それは単なる「信仰」なんてものではなくて、
心の底から湧きあがってくる「確信を伴った希望」なんじゃないだろうか。

儚くて、頼りない「確信」ではある。
だが、「希死念慮」とは違う何か、「未来への希望」とでも言えばいいものを感じているんじゃないだろうか。

いつかまた、あの人に会える…
そんな風に感じているからこそ、死を恐れなくなるんじゃないだろうか。

何の確信もないのだが、そんな風に想うことで自分を慰めるしかないのだ。

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