心と身体は区別できるんだろうか。
精神と肉体とを別々に論ずることは正しいのだろうか。

たしかに心理学のベースには、心身二元論がある。
身体とは別に、心という実体があるという前提に立たない限り、心を対象にした科学は生まれないはずだ。

だが、心理学は科学ではない…という厳しい説もある。
物理学などと比較して、実験の再現性が著しく低いからだ。

果たして心と身体とは別の実体なんだろうか。
そもそも肉体とは独立した精神というものが実在するのだろうか。

それさえ俺にはわからない。
だとすれば、「肉体」とは別に「魂」という実体があるのかと聞かれると、なお一層わからなくなってしまう。

しかし…
それでも俺は、「魂」というものが存在していると思うのだ。

その根拠は?と聞かれたら、答えを言語化するのは難しい。
魂の存在は、俺の実感にすぎないからだ。
その実感を表現するのに相応しい言葉を持ち合わせていないからだ。

だが、あえて表現するならば、ある種の「摩擦」であり、「不協和音」だと言っていい。

何かが決定的にズレている。
そこに軋轢が起きている。

そうした実感の中にこそ、俺は魂の存在をかすかに感じるのだ。

・・・

何かが決定的にズレている。
かつては収まるべきところに収まっていたものが、かみさんの死とともに、収まるべきところからズレてしまった。

収まるべきものは、収まるべきところに戻ることができない。
収まるべきところに戻りたい。
それなのに、決して戻ることができない。

だから苦しい。
だから痛い。
これはとても不快な感覚だ。

いっそのこと戻るのは諦めよう。
そして「ここ」から出ていこう。
それができたなら、不快な感覚は消えて、俺は調和を取り戻すだろう…


これが俺の実感のすべてだ。

ご覧のとおり、主語は不明瞭だし、前置詞の目的語も不明確だ。
もそも何を言っているのかわからない。

しかし…
この訳のわからない実感の中にこそ、俺は「魂」の存在をかいまみるのだ。


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