かみさんがいない。
世界でいちばん大切な人が逝ってしまった。

そのとき以来、俺の涙腺は決壊した。

あれから数年が経った。
それなのに、いまだに涙が零れてしまう。
16歳のときに実父が死んでから、一度も泣いたことがなかった俺なのに、今では泣いてばかりいるようになってしまった。

かみさんの遺影を見つめては泣いた。
かみさんの遺品に触れながら泣いた。

かみさんの姿を求め、家の中を徘徊しながら泣いた。
かみさんを抱きしめたくて、虚空に腕を広げて泣いた。

悲しくて泣いた。
寂しくて泣いた。

かみさんがかわいそうで泣いた
かみさんを守ってあげられなかったことが悔やまれて泣いた。
みさんを死なせてしまった罪悪感に耐えられなくて泣いた。

自分の半身を削ぎ落とされた痛みで泣いた。
心に穿たれた空洞が痛くて泣いた。

俺は嗚咽していた。
俺は慟哭していた。

・・・

最近、泣くことが減ってきた。
以前のように、毎日泣くことはなくなったのだ。

かみさんの死から数年が経ったからだろうか。
理由は分からない。

だが…
泣かなくなったことが、必ずしも良いことなのかは分からない。

むしろ泣けないのも辛いことなんじゃないだろうか。
涙を流すことで、悲しみや寂しさ、後悔や罪悪感は、わずかながらも発散される。
しかし、泣けないとすると、それらの感情は行き場を失う。

行き場のない負の感情は、密度を増していき、次第に熱を放ち始める。
そして、俺を内側から破裂させようとするんだ。

・・・

しかし…
これらの感情に耐え抜くことが、俺に求められていることなのかもしれない。

悲しみや寂しさ。
後悔や罪悪感。
それらのすべてを受け入れて、ボロボロになっても生きていく。

それは、俺に与えられた最期の修行なのかもしれない…と思うんだ。


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