かみさんと俺は、平成2年に付き合い始めて以来、散歩ばかりしていた。

もちろん、テレビを見ながら他愛のない会話をしたり、一緒に買い物に行ったり、外食をしたり、映画を見に行ったり、その他さまざまな体験を共有してきたのだが、いちばん印象に残っているのは、二人でのんびりと散歩をしたことだ。

散歩にかける時間は、短くても2,3時間。
長ければ時間以上も散歩をしていた。

散歩の最中、かみさんはいつでも俺の右側にいて、周囲に広がる風景を眺めながら、楽しそうにおしゃべりをしていた。

かみさんと二人でのんびりと過ごす休日の散歩。
かみさんにとっても俺にとっても、穏やかで安らかな、至福の時間だった。

・・・

あてもなく、目的地も決めず、何時間も散歩をしていると、自分たちが今どこにいるのか分からなくなってしまうことも多かった。

気がつけば、田園風景の中にいたり、どこかの住宅街に迷い込んでしまったり。
日が沈み、あたりが暗くなってきたのに、自宅への帰り道が分からなくなってしまい、ちょっぴり不安になったりした。

だがそんなとき、かみさんが言った。
二人が一緒なら、何も怖くないねぇ…

かみさんの言葉は、俺に勇気をくれた。

そうなんだ。
二人が一緒なら、何も怖くない。
どんなことだって乗り越えることができる。

そう思うことができたのだ。

・・・

散歩の時ばかりではない。
かみさんと俺も、人並みにさまざまな困難にぶつかってきた。
そのたびに不安になったりもしたのだが、お互いに手を取り合って、お互いに支え合って、お互いに寄り添いあうことで、どんな不安や恐怖にも耐えてくることができた。

かみさんの存在が俺を支えてくれたんだ。

かみさんがいるという、ただそれだけの事実。
その単純な事実が、俺に生きる力を与えてくれたんだ。

・・・

かみさんは闘病中、俺に向かって何度か同じ言葉を口にした。

一緒にいてくれて、ありがと
横にいてくれて、ありがと

俺が闘病中のかみさんに寄り添ってあげたこと。
そのとき、かみさんは「二人が一緒なら、何も怖くない」って想っていてくれたんだろうか。

もしもそうならば、かみさんにとって、俺は存在する意味があったってことだ。

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