明日は今日より良い日だろう。
もし明日がダメであっても、1週間後あるいは1か月には良い日がやって来るだろう。
1か月後がダメだとしても、1年後には、事態は好転しているはずだ。

かみさんと出会って以来。
俺はそんなふうに思って生きてきた。
かみさんの生前、俺は意外と楽観的だったのだ。

俺が未来を楽観できるようになったのは、かみさんのおかげだ。
かみさんとの暮らしは「右肩上がり」だったからだ。

すべてを悲観的にしか見られなかった俺に、かみさんが「未来は明るい」ということを教えてくれたのだ。

・・・

かみさんの死を境にして、未来は真っ黒になった。
俺は再び悲観的になり、未来を明るく展望できなくなってしまった。

俺の主観の問題ではない。
視点を変えても明るい未来が見えてくるわけではない。
俺が気づいていないだけで、現実は少しずつ穏やかになっている…というわけでもない。

そうだ。
俺の「気の持ちよう」ではない。
すべてが確かに悪くなっている。

心が落ちていく。
身体が壊れていく。
自分が徐々に崩れていくのが分かるのだ。

それでも俺は、自分の心身に鞭を打ち、「普通の人」を演じている。

だが…
ガマンにも限界ってものがあるんだ。

・・・

かみさんが亡くなってから数か月が経った頃。
今はこんなに悲しいけれど、少しずつでも元気になって、いずれはかつての俺に戻れるだろう…と思っていた。

しかし、「現実」は違った。
日を追うごとに生きづらくなっていく。

加齢による体力の減退もあるだろう。
肝機能の低下なども原因のひとつだろう。
何より苦しいのは、未来に何の希望もないことだ。

明日は今日より辛いだろう。
1週間後あるいは1か月後には、ますます苦しくなっているだろう。
1年後には、ますます事態が悪化しているはずだ。

かみさんを喪って以来。
それらの予想は、ことごとく当たってしまった。
だとすれば、これからもすべてが悪くなっていくに違いない。

今でさえ「生き地獄」なのに、これ以上の「地獄」が待っている。
今でさえ苦しいのに、これからどんどん苦しくなっていく。

だから俺は死にたくなるんだ

楽しいことがないから死にたいのではなく、面白いことがないから死にたいのでもない。
苦しくて仕方がないから死にたくなるんだ


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

にほんブログ村← いつもありがとうございます。ポチッとクリックお願いします。