俺と妹は、実母から虐待を受けて育ってきた。
実母は俺と妹を否定した。
そして、俺と妹に対し、自分で自分を否定するよう強制し続けてきた。


親に反論するわけにはいかなかった。
反論すれば殺されかねないような親だったからだ。

幼少期というのは全面的に親に依存している。
俺と妹は、耐えるしかなかったのだ。
俺たちは親から殺されないために、自分で自分の心を殺した。

そんな俺と妹にとって、この世界は生きづらい場所だった。

・・・

今でもハッキリ覚えている。
1990年の冬のことだ。

かみさんと出会ってから半年ちょっとが過ぎていた。
場所は西武新宿線の電車の中だった。

かみさんが俺に伝えてくれた。

そのまんまで良いんだよ…
あるがままで良いんだよ…

あの瞬間だ。
俺の全身から余分な力が抜けた。

そのまんまで良い。
あるがままで良い。

それを教えてくれたのは、かみさんだった。

あの日以来、俺は自分で自分を受け容れることができるようになった。
俺は自分を肯定することができるようになったのだ。

・・・

今の俺は、「あるがまま」の自分を受け容れていない。
俺は俺自身を否定している(のだと思う)。

自分を受け容れていない奴が、他人を受け容れられるはずがない。
だから俺は、他者を否定して、他者を憎悪して、他者を破壊しようとしている。

だが、それは他者の側に問題があるわけではない。
俺自身の問題だ。
俺が自分を否定しているからこそ、俺は他者を憎悪しているのだ。

精神分析学の創始者ジクムント・フロイトの言うとおり、「抑圧」による「投影」をしているのだ。

・・・

かみさんが言っていた。

そのまんまで良いんだよ…
あるがままで良いんだよ…


今の俺には「あるがまま」の自分なんて受け容れることはできない。
俺は俺自身が大嫌いだ。

しかし、俺はかみさんが与えてくれたモノを棄てることもできない

だからこそ…
俺は俺自身を肯定する必要があるのかもしれない…と思うのだ。


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