かみさんが元気だった頃。
夜遅くまで残業した日は別として、俺は毎晩12時には就寝していた。

会社から帰ってくると、まず風呂に入る。
その後、かみさんが丹精込めて作ってくれた夕食をごちそうになる。
その日にあったことをお互いに語り合いながら、かみさんの手料理を楽しむ。

食事が終わると、かみさんと一緒にテレビを見ながら、他愛のない会話に花が咲く。
そして、12時になったら床に入る。

かみさんと俺との生活のリズムは、そんなふうに作られていた。

・・・

かみさんが亡くなってから。
俺はできるだけ早く床に就くようになった。
残業で帰宅が遅くなった日を除き、早ければ午後9時、遅くとも午後11時過ぎには寝てしまう。

眠っている間だけは、かみさんを亡くした哀しみから自由になれる。
眠っている間だけは、かみさんのいない淋しさから解放される。

だから俺は、できるだけ長い時間、眠っていたいのだ。
できるだけ長く眠っていられるよう、俺は毎晩、早めに睡眠薬を飲み、床に入る。

眠りに落ちるとき、俺は淡い期待を抱いている。
目覚めたら、かみさんが生き返っているかもしれない…なんて非現実的な期待は持っていない。

だが、目が覚めたら「何か」が変わっているんじゃないか、その「何か」がなんなのかは分からないが、その「何か」を期待しつつ、俺は眠りに落ちる。

・・・

期待はいつだって裏切られる。
目覚めるたびに、哀しみが、淋しさが、絶望が、虚無が襲ってくる。
結局は何も変わっていないことに気づき、俺の心は奈落に落ちる。

そうだ。
何も変わらないのだ。
俺が生きている限り、毎日この繰り返しなのだ。

淡い期待を抱きながら眠りに落ちる。
眠っている間だけは、すべてから自由になれる。
だが、目覚めてみれば、そこには絶望がある。

毎日この繰り返しだ。
何も変わりはしないのだ。

俺の余命があと何年あるのか知らないが、俺が生きている限り、目覚めとともに、かみさんの死に向き合い、かみさんがいないことに愕然とし、俺の心は落ちるのだ。

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