あれは俺が何歳の時だったんだろうか。
幼稚園に入る前なので、3
歳か4歳くらいだったんだろう。

俺は家族旅行で(たぶん)箱根に
いた。
湖の見える場所で、俺は実母にブン殴られていた。

なぜ殴ら
れたのかは覚えていない。
情緒不安定な毒親のやることなので、意味や
理由などなかったに違いない。
単に不満のはけ口にされただけなんだろう。

思い出せる限りでは、これが俺の最
も古い記憶だ。

あの頃すでに、俺は世界とズレていた。
あの頃すでに、俺は人間が憎くて、人生が憎かった…ような気がする。

そうだ。
俺はガキの頃から世界を憎悪していたん
だ。

・・・

20年間、かみさんと一緒に暮らした。
かみさんはいつ
でも俺の隣にいてくれた。

かみさんと暮らす中で、世界の見え方が
変わっていった。

世界が変わったのではない。
俺自身が変わったの
だ。
かみさんが俺を変えてくれたのだ。

曇っていたはずの視界が晴
れていった。
歪んでいたはずの視野が平坦になっていった。

いつの間にか、俺は世界に対する憎悪を忘れていた。

・・・

かみさんが死んでしまった。
世界で一番大切な人が死んでしまった。

その日、世界は
俺から遠のいていった。
手を伸ばせば届きそうなのに、世界は
俺を拒絶した。
見えない壁があるかのようで、
世界にリアリティが感じられなくなってしまった。

世界は俺を排除
した。
世界は俺を見世物にした。

世界は冷淡だった。
世界は残酷だった。

かみさんを亡くした後に俺が見た原風景は、そ
んな世界の実相だった。

俺は人間を憎み、自分が生きていることを
憎んだ。
俺は世界を憎悪した。

俺は世界に関わるのをやめてしまっ
た。

・・・

かみさんが亡くなった瞬間。
俺は以前と別の人間になっ
てしまったような気がする。
周囲の世界が、
かみさんのいた頃とは違って見えるのだ。

醜悪なのだ。
陰湿なのだ。卑劣なのだ。下品なのだ。
冷酷なのだ。残忍なのだ。無能なのだ。貪欲なのだ。

だから…
俺は、今でも世界を憎悪している。


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