倦怠感がハンパじゃない。
ただでさえダルいのに、その上とても疲れやすい。

身体が重たい。
全身のあらゆる場所が痛い。

あまり眠ることができない。
日中は眠たくて仕方がない。

呼吸が浅くて荒い。
ときには肩で息をしているようだ。

単なる老化現象なのか、健康を害しているのかは分からない。
それでも俺はエネルギーを無理やり絞り出し、全力で仕事を処理しているが、おかげで退社した後は疲労困憊だ。

どうやら俺の健康寿命は既に尽きつつあるらしい。

どこが悪いのか特定しようがない。
仕事が忙しくて病院に行く暇もないし、そもそも自分の健康状態に関心がないからだ。

俺の臓器はボロボロで、血管はズタズタで、心はとっくに壊れている。

俺なんかより、俺の部下たちのほうがよっぽど元気そうだ(俺の部下たちの3分の2以上は俺より年上だ)。
それどころか俺の義母(かみさんのお袋さん)でさえ、俺よりはるかに健康そうだ(義母は80歳を超えている)。

外見とは裏腹に、俺の内部は徐々に崩れているのだろう。

・・・

かつては俺も健康だったはずだ。

長時間の残業にも耐えてくることができた。
徹夜で仕事をしても倒れなかった。

運動をするのが好きだった。
かみさんと一緒に散歩をするのは特に好きだった。

そうだ。
かみさんが元気だった頃は、俺も十分以上に元気だったのだ。

心と身体がボロボロになってしまった今、かみさんが元気だった頃を振り返る。

あの頃、俺はどんなふうに元気だったんだろうか。
そもそも「元気である」というのは、いったいどういう状態だっただろうか。

自分が元気だった頃を思い出そうとしてみるが、どうしても思い出すことができない。
どうやら俺は、健康だった頃の自分の状態を忘れてしまったらしいのだ。

・・・

街を歩いていると、杖をついてヨボヨボと歩いている老人を見かけることがある。
休日の早朝にウィスキーを買いに行くと、公園のベンチに座ってボンヤリしている老人を見かけることもある

いずれも身体が不自由そうだ。
そして、とても寂しそうだ。

この老人たちだって、以前は健康で元気だったのだろう。
そして、一緒に年を取ってくれる伴侶がいれば、こんなに寂しい姿を見せることもなかったのだろう。

あの人たちの寂しそうな姿を見ると、やはり胸がチクリと痛む。

それは同情や共感ではなく、自己憐憫なのかもしれない。
あれは近い将来の俺自身の姿だからだ。

・・・

どうやら俺の健康寿命は既に尽きつつあるらしい。
ひとりぼっちで年を取るのが、これほど切ないことだとは思わなかった。

もしもかみさんがいたならば…
二人で一緒に「老い」を楽しむこともできただろう。

そして何よりも、次第に弱っていく互いを慈しみ、優しい眼差しで見つめ合っていくこともできただろう。


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