決して毎日というわけではない。
せいぜい1週間に数回あるかどうかというところだ。
自分の中から「何か」が脱け出してしまったような感覚に陥ることがある。
自分のアイデンティティが溶けてしまったような感覚に陥ることがある。
自分の中に、大きな空洞があることを意識せざるを得ないのだ。
そんなとき。
見えてはいるのに観ていない。
聞こえているのに聴いていない。
自分が「今ここ」にいないみたいだ。
周囲の世界にリアリティが感じられないのだ。
リアリティが無いくせに、周囲の世界のすべてが不快なのだ。
ウザったいのだ。
重たいのだ。
そして、とても哀しいのだ。
あらゆるモノが俺をザワつかせる。
すべてが俺を刺激する。
抗鬱剤や精神安定剤も効きやしない。
この感覚には堪えがたい。
だから俺は目を閉じて、耳を塞ぎ、あらゆる刺激を遮断しようとする。
しかし…
すべての感覚を遮断しようとしても、触覚だけは機能している。
空気が俺の肌にまとわりついて、やはり俺を刺激するのだ。
結局は、すべてを遮断することなんてできないのだろう。
・・・
かみさんを亡くしてしまった。
ひとりぼっちになってしまった。
あの瞬間以来、俺は世界の周縁に排除されてしまった…と思っていた。
そして、世界の周縁は淋しいけれど、そこは安住の地でもある…と感じていた。
だが、自分でも気づかないうちに、俺は周縁から中心に戻されてしまっていたらしい。
そこには義務があり、責任がある。
そして何より「関わり」がある。
それから遠ざかり、それを排除して、それを破壊したかったのに、俺は今、「関わり」の真っ只中にいるのだ。
だから俺は、世界が嫌いだ。
だから俺は、自分が嫌いだ。
そして俺は、生きていることが大嫌いだ。
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せいぜい1週間に数回あるかどう
自分の中から「何か」が脱け出してしまったよ
自分のアイデンティティが溶けてしま
自分の中に、大きな空洞がある
そんなとき。
見えてはいるのに観
聞こえているのに聴いていない。
自分が「今ここ」
周囲の世界にリアリティが感じられないのだ。
リアリティが無いくせに、周囲の世界のすべてが不快なのだ。
ウザ
重たいのだ。
そして、とても哀しいのだ。
あらゆるモ
すべてが俺を刺激する。
抗鬱剤や精神安定
この感覚には堪えがたい。
だから俺は目を閉じ
しかし…
すべての感覚を遮断しようとしても、触覚だけは機能している。
空気が俺の肌にまとわりついて、やはり俺を刺激するのだ。
結局は、すべてを遮断することなんてできない
・・・
かみさんを亡くしてしまった。
あの瞬間以来、
そして、世界の周縁は淋しいけれど、そこは安住の地でもある…
だが、自分でも気づかないうちに、俺は周縁から中心に戻されてしまっていた
そこには義務があり、責任がある。
そして何より「
それから遠ざかり、それを排除して、それを破壊し
だから俺は、世界が嫌いだ。
だから俺は、自分が嫌いだ。
そして俺は、生きていることが大嫌いだ。
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コメント
コメント一覧 (5)
義務も 責任も 関わりも 無くしても いいのですよ。
日本には 働けない人を保障する制度だってあります。
嫌いなものは一度捨ててみて、それが必要なものだったなら、 また拾ったら いいのではないでしょうか。
世界の 何に縛られているのだろう。
だがあの人が余命宣告を受けてからは、自死のニュースを見る度に
そんなことするくらいなら残りの命あの人にあげてよなどと怒りの矛先を向けていたのだから矛盾している 戦争文学の中に自分のために生きるな 死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよという言葉があった。亡くなってから開いた日記に何度も書かれていたあの人の神様どうか助けてください あの人の想いが助けることができなかった自分への怒りが 神への失望がどろどろとした真っ黒の煩悩が私をこの世にとどまらせてるのかもしれない
今は私のために立ち上がれずにいる。
手を伸ばしたいけど、もうできない。
気配だけ残すのが精一杯。
いつか
あなたが死ぬ直前にがんばったね、と迎えにいきたい。
でも、今はまだいえない。
その時に胸を張ってがんばったよ、と言える人であってほしい。
一緒に死んでほしいなんてちっとも思ってない。
そんなこと言われたら悲しい。
新たな人生を歩き始めても、ずっと心の横で好きでいてくれれば
それでいい」
私ならそう思うでしょう。
奥さんの評価を上げるも下げるもあなた次第です。
奥さんはもう、自分で選択できないんだもの。
あなたがしっかり立ちあがって支えるべきは自分の価値です。
あなたがしっかり歩いていれば、奥さんの見る目は正しかったと
思わざるを得ないものです。
奥さんの思念は常にあなたの傍にあります。
かみさんの気配を感じると書かれていた通りです。
今日も生きているよ、だと奥さんは絶対に喜びません。
今日もがんばってるよ、と奥さんに言ってあげてください。
人は必ず死ぬ時を迎えます。
その時に奥さんががんばったね!エライエライ、と笑いながら
迎えに来てくれるかどうかはあなたの生き方次第だと思います。
私の場合はほぼずっと抜け殻なんでしょう。確かに周りにリアリティないです。自分がいるのは今でも夫が自宅の椅子で崩れ落ちているのを見た去年の夏の暑い日のままです。取り組む仕事が来たら少し我に帰る感じです。私はあまり泣きません。だから人は私はしっかりしてると思っています。でもいつだって膝から崩れ落ちそうだから、無意識にいつも奥歯を噛み締めています。先日マッサージに行ったら、身体全体が緊張していると言われました。それが本当のところです。生きていることが嫌いとは思いません。どうも思わないのです。生きていること自体が無感動だからなんでしょう。嬉しいことも楽しいこともない一方で、人に腹を立てることもなくなりました。あっちで楽しくやっている夫を想像して、ああ早くそっちに行きたい、楽になりたいとぼんやり思っています。
それだけ。
頑張って生き抜いたら、あの人誉めてくれるかな。