親を亡くした者は過去を失う。
配偶者を亡くした者は現在を失う。
子どもを亡くした者は未来を失う。

この言葉を知ったのは、かみさんが亡くなって数週間が経ったころだった。

最初に覚えたのは怒りと違和感だ。
配偶者を亡くした者が失うのは現在だけなのか?
未来だって失ってしまうんじゃないのか?
それが俺の抱いた違和感の正体だ。

かみさんと俺は、自分たち二人の未来を思い描き、さまざまな夢を語り合ってきた。

かみさんはいつも言っていた。
おじいちゃん、おばあちゃんになっても、二人で一緒に散歩をしよう…
おじいちゃん、おばあちゃんになっても、二人で一緒に温泉に行こう…
おじいちゃん、おばあちゃんになっても、二人で一緒に毎年、旅行をしよう…

二人で一緒に年を取り、じいさん、ばあさんになったとしても、今までと同じように暮らしていきたい。
それがかみさんの夢だったのだ。

そして何よりも。
二人で一緒に死ねたらいいね…
死ぬときは二人一緒がいいね…
かみさんはいつも呟いていた。

二人で一緒に年を取ろう。
些細なことかもしれないが、かみさんがとても大切にしていた夢だ。

だが…
その夢が破壊されてしまった。
かみさんと俺が失ったのは、目の前にある現在だけではないのだ。

そうだ。
俺たち夫婦は現在だけではなく、未来も失ったのだ。

あの日以来、俺は未来を見通すことも、想像することもできなくなった。
あえて想像するならば、俺には孤独死が待っている。

残されたのは絶望だ。
真っ暗で、カラッポで、唾棄したくなるような未来だ。

こんな未来なんかいらない。
こんな未来なんか必要ない。
俺は自ら未来を絶とうと思った。

いつ死んでもいいと思うようになった。
何もかも、どうにでもなってしまえと思うようになった。

それ以来、俺はアルコールに溺れている。

・・・

今の俺はヤケクソだ。
投げやりで、やさぐれている。
自暴自棄で、破壊的で、破滅に向かって進んでいる。

それなのに…
何故だか不安になるのだ。
何故だか心細いのだ。

何もかも、どうにでもなってしまえ…という思いに嘘はない。
その思いに従って行動し、俺は確実に破滅に向かっている。

それでもやはり、俺はかみさんの気配を求めてしまうのだ。
それでもやはり、俺はかみさんを探してしまうのだ。

かみさんがいない。
その事実に慣れることができない。

だから俺は、いつだって心細いのだ。

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