いちばん大切な人を喪うことは、人間にとって最も悲しくて、最も苦しくて、最も辛い出来事だ。
遺された人々は、自分も後を追いたい…とさえ思うだろう。

しかし、人間の生存本能は想像以上に強いらしい。
なかなか後を追えるものではないのだ。

後を追えない以上、生きていかざるを得ない。
深いタメ息をつき、仕方がないから生きていこう…と渋々ながら決心し、顔を上げて前を見る。

すると、目の前には「生き地獄」が広がっているのだ。

伴侶や子どもに先立たれてしまった。
あれは、自分の心身の半分を削ぎ落されるような体験だ。
心も身体もボロボロになってしまう。

それでもかろうじて息をしているが、これ以上の傷には耐えられない。
だからせめて、残りの人生だけは静かに送りたい。
自分の人生に絶望し、もはや夢も希望もないけれど、せめて死ぬまで穏やかに生きていきたい。

だが…
そんな些細な願いでさえも、世界は許してくれないのだ。

もっと悲しめと奴らが言う。
もっと苦しめと奴らが言う。
そして、苦しむ遺族たちを眺め、その「奴ら」は嗤っているのだ。

最愛の人の死に比べたら、たいしたことではないかもしれない。

しかし、遺族はこれ以上、心を乱されたくないのだ。
ひっそり静かに暮らしていきたいのだ。

・・・

伴侶や子どもを亡くしてからの数年間。
遺族たちは、あまりの激しい「悲しみ」によって、心が張り裂けてしまうような、身体の一部が削ぎ落されてしまうような、そんな体験をしていることだろう。
そして、自分の余生は「生き地獄」だと思うだろう。

だが、時間が経つにつれて「悲しみ」は鎮まっていく。
すると、とても深い「哀しみ」が、激しい「悲しみ」の代わりに訪れるものの、ひょっとしたら、世界は「生き地獄」というほど苦しくはないかもしれない…と思う。

だが、そのときだ。
もっと悲しめと奴らが言う。
もっと苦しめと奴らが言う。

そして、遺族たちは知るのだ。
本当の「生き地獄」はこれから始まるということを知るのだ。

心静かに余生を送りたい遺族たちは、激しい「悲しみ」が薄れたときにこそ、本当の「生き地獄」を知ることになるのだ。

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