かみさんが亡くなって以来、俺はずっと”ひとりぼっち”だ。
子どももいないし、ペットもいない。
実の親は「毒親」だ。

俺を「家族」として受け入れてくれるのは、かみさんの家族(俺の義母や2人の義弟たち)だけだ。
だが、みんな北海道に住んでいるため、めったに会うことができない。

俺は本当に”ひとりぼっち”なのだ。

”ひとりぼっち”には、”ひとりぼっち”なりの生き方があるだろう。
”ひとりぼっち”なったとしても、少しは余生を楽しまなきゃダメなんじゃないか…と思うこともある。

そうだ。
”ひとり上手”になろう。

さて…
”ひとり上手”になるためには、何をしたら良いんだろうか。

まずは、ひとりで旅行に行ってみようかな…と思う。
だが、かみさん以外の人と行った旅行に良い思い出がない。

幼少時に両親に連れられて旅行をしたことはある。
だが、いつもブログに書いているとおり、俺の両親は「毒親」だったので、旅行に行くたびに辛い思いをした記憶しか残っていない。

かみさんと出会う前に交際していた女性たちとは、一度も旅行に行ったことがない。
自分で学費を稼がなければならない貧乏大学生だったため、俺には旅行に行くカネなんか無かったのだ。

旅行って楽しいな…と感じることができるようになったのは、かみさんと出会ってからだ。

かみさんと一緒の旅行は楽しかった。
旅行って、こんなに楽しいんだ!と教えてくれたのは、かみさんだった。
かみさん以外の人と旅行をする気持ちなんて起こらないし、”ひとりぼっち”で旅行に行く気にもなれない。

・・・

旅行ができないのなら、せめて美味いものでも食べに行こうか…と考えることもある。
だが、これも難しい。

定食屋や寿司屋(回ってない方の寿司屋。回ってる方は家族連れが多くて、かえって辛い)、ラーメン屋、居酒屋とかならば、ひとりでも入店することができる。

だが、焼き肉屋だとか、中華料理屋だとか、フレンチ・レストランだとか、イタリアン・レストランだとか、”ひとりぼっち”で入るには抵抗のある店も多い。

かみさんの月命日には、”ひとりぼっち”で入ることのできる店を選び、かみさんのお位牌や遺影と一緒に入店している。
焼き肉屋やフレンチの店にもかみさんを連れて行ってあげたいが、やはり”ひとりぼっち”では入りにくい。
自意識過剰なのかもしれないが、焼き肉やフレンチなんて、”ひとりぼっち”で行くのは惨めで寂しいだけだ。

そういえば…
かみさんが亡くなってから、映画館にも行っていないし、カラオケにも行ってない。

”ひとり上手”になるのは本当に難しいと感じている。

・・・

こんなんじゃダメだ。
”ひとり上手”にならなくちゃダメだ。

しかし…
やっぱり、かみさんがいたから楽しかったんだ。
かみさんと一緒だから何をするのも楽しかったんだ。

かみさんが俺の隣にいない余生。
そんなもの、想像したことさえなかった。

でも、それが俺の現実だ。
余生が短いことを願いつつ日々を生きている。
だがせめて、その余生は”ひとり上手”でいなければならないと思っている。

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