何故いろんなことが起こるんだろうか。
何故いろんなことをしなければならないんだろうか。
次から次へと面倒な問題が、否応なしに襲ってくる。

それらは俺たちの責任や意思とは無関係なところで起こっている。
だから俺たちには、それらの難題の発生を止めることができない。

だが、それらに対処しなければならないのは、いつだって俺たちなのだ。
世界は伴侶を亡くした者たちにさえ容赦がないのだな…と思う。

俺たちはもう疲れてしまったんだ。

どんなに辛いことがあろうとも、かみさんが俺の隣にいれば、俺は堪えてくることができた。
たぶん他の人たちも同じだろう。

しかし…
俺たちは”ひとりぼっち”なんだ。

心の支えがない。
疲れを癒す時間もない。
安心して眠れる場所もない。

そうだ。
俺たちには「救い」がないのだ。
それでも俺たちは、このクダラナイ現実と対峙していかなければならない。

クダラナイない現実を処理するだけならば、俺たちの余生はあまりにもクダラナイ。
それでも俺たちは、クダラナイ命が尽きるまで、クダラナイことに振り回されながら、クダラナイ余生を過ごしていかなければならないのだろう。

・・・

かみさんが元気だった頃。
俺は多くの人たちと密接なつながりを持っていた。
密接な人間関係は、俺の日常を豊かにしてくれていたのだと思う。

しかし、その密な関係が面倒な問題の原因になることも少なくなかった。
俺自身とは無関係なところで問題が起こり、それが多くの人々の関係の網目を通じ、俺にまで波及してくるということは多かった。

それだけではない。
密接な関係が仇となり、互いに傷つけあうこともあったはずだ。
それらが原因で、一部の関係の糸が途切れてしまったこともある。

それはそれで辛いことではあった。

だが…
俺にはかみさんがいたんだ。

俺にとって、もっとも濃密で、もっとも強固な関係を持つことができたのは、かみさんだ。
決して途切れることのない関係だった。
何があっても切れない関係だった。

世界のすべてが俺の敵になろうとも、かみさんだけは、俺の味方でいてくれる。
かみさんと俺との間の絆は、俺の心を支えてくれたのだ。

・・・

今の俺は、他者との密接な関係を望んでいない。
あらゆる関係の網目を断ち切って、孤独に生きていきたいと思っている。

本当に孤独になったなら、やっぱり淋しいなぁ…と呟くに違いない。
だが、クダラナイ命が尽きるまで、クダラナイことに振り回され続けるのも嫌なのだ。

クダラナイ問題に巻き込まれるのは、他者との関係の網目の中にいるからだ。
だからこそ、すべての網目を断ち切りたいとも思うのだ。

すべての関係を断ち、べての責任を放棄する。

それこそが唯一の道なのかもしれない。
それこそが唯一の「救い」なのかもしれない。

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